fbpx

岸田辞任は米国の圧力?いずれは子飼いの小泉進次郎か。ジャパン・ハンドラーの思惑=高島康司

・1951-1960:戦略的駆け引き
安保条約に基づき、日本は 国際連合憲章第7章第51条に基づく自衛権を保持した。しかし日本は、戦後の占領下で米国によって制定された新憲法第9条の下で、主権的権利としての戦争も放棄した。軽武装で経済成長に専念するという「吉田ドクトリン」を採用。専守防衛でアメリカが日本の防衛義務を負う。

・1960-1989:冷戦
冷戦状態でソ連の脅威が高まる中、日本がシーレーン防衛を担当する必要に迫られるも、日本は「吉田ドクトリン」の強化で対抗。高度経済成長とバブル期の成長から日米貿易摩擦が深刻化し、同盟関係に影を落とす。

・1989-2000:失われた目的と取り戻した目的
冷戦後、北朝鮮の核・ミサイル開発など身近な安全保障上の脅威が増大したため、日本は従来の自衛の概念を拡大し、地域の安全保障により重点を置くようになった。しかし日本の連立政権は、米国との同盟関係よりも多国間外交とアジア重視を強調し始めた結果、日米同盟は不安定化する。しかし、ワシントンは東京との対話を開始し、日米同盟の将来像を明確にし、日米関係の重要性に関する両首脳のコンセンサスを再構築した。

・2000-2012:対テロ戦争とアジアへのリバランス
2001年9月11日のテロ攻撃は、同盟協力の新たな章の幕開けとなる。小泉純一郎首相率いる日本は同時多発テロ後、米国を支援するために迅速に動く。日本は海上自衛隊の艦船をインド洋に派遣する「特別措置法」や、約600人の陸上自衛隊員をイラクに派遣する「特別措置法」を可決した。どちらの「特別措置法」も歴史的なものであり、自国の地域を超えた国際安全保障における日本の役割を促進するものだった。

日米安全保障協議委員会(2+2)プロセス-米国務・国防長官と日本の担当官との会合-は、日米同盟の進展の原動力となった。

しかし、鳩山由紀夫首相が民主党の初代首相に選ばれた。鳩山首相は「東アジア共同体」構想を外交政策の中心に据え、経済・安全保障協力を推進する多国間外交を重視した。だが、オバマ大統領の「アジアへのリバランス(再均衡)」の下で、米国が地域情勢により集中的に取り組むという戦略的決定を下しため、同盟関係は調整され強化された。

・2012-2024:同盟の統合
安倍政権は、限定的な状況下での集団的自衛権の行使を可能にするため、憲法第9条の解釈を変更した。そして、米国に対する攻撃が日本の生存を脅かす場合、日本は米軍の作戦を直接支援することができるようになった。新ガイドラインによって、日米両軍はより広範な事態を想定し、相互運用性を強化することが可能となった。しかし、多くの点で、日本の防衛政策に対する戦後の制約は、安倍首相の時代になってもそのままであった。

一方岸田首相は、米国との防衛協力強化へのコミットメントを明確に示し、日本の防衛費を3倍に増額した。

以上である。そして、このレポートの結論には以下のようにある。

「日米両国は、インド太平洋の安定と秩序を維持するため、二国間および他のパートナーとの間でより統合された同盟関係を構築している。

憲法第9条をはじめとする重要な制約にもかかわらず、日本は吉田ドクトリンから脱却し、国と地域全体の安全を確保するために防衛への投資をさらに増やしていくだろう。

戦後の日米同盟の歴史が何らかの指針になるとすれば、このプロセスは、将来その秩序を損ないかねない新たな課題に対応して進化し続けるだろう」

憲法9条改正への圧力か?

さて、このレポートを見ると、憲法9条の制約のもと、専主防衛によって軽武装に止め、経済成長に専念する「吉田ドクトリン」から日本を脱却させ、自衛隊を米軍と一体化させて、日本をアメリカの世界戦略に統合する過程を明白に示している。そして、この過程では、憲法9条の存在がさらなる統合への障害になっていることが示されている。

このレポートが、岸田首相の総裁選立候補辞退の直接的な引き金になってかどうかは分からない。ただ、憲法9条の改正がない限り、自衛隊を米軍にさらに統合して一体的に運用する次の段階には進むのは困難だと見ている可能性は大きい。

ということでは、20%台まで支持率が低迷した岸田政権では、憲法改正はまったく望めない。ということでは、「CSIS」の「ジャパン・ハンドラー」が憲法改正ができる政権への交代を望んだとしても不思議ではない。

Next: いずれは子飼いの小泉進次郎?日本の未来は米大統領選の結果次第か…

1 2 3 4
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー