2008年の評論集『夢見られた近代』(NTT出版)に収録した論考
「ゴジラの夢見た本土決戦」
「怪獣王かく去れり」
でも述べたように、ゴジラは2つの矛盾した象徴性を持っている。
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すなわちそれは
1)太平洋戦争中の米軍
を象徴していながら
2)敗戦後の日本の変節に怒る戦没者
の象徴とも解釈できるのです。
となると、ゴジラを撃退しようとするとき、
われわれは本当のところ、何を撃退しようとしているのか?
アメリカ(軍)か、それとも戦前の日本(軍)か?
ついでに。
わが国に上陸したゴジラが都市を破壊する場面こそ、ゴジラ映画不可欠の見せ場。
自衛隊の活躍によって、上陸する前に撃退されました。めでたしめでたし!
…というんじゃ話になりません。
裏を返せば、ゴジラ映画を観るとき、われわれは戦後の日本が破壊されるのを期待していることになる。
しかし最後にはゴジラが撃退されるのでなければ、やはり話になりません。
その意味でゴジラ映画は
1)戦前の自国
2)戦後の自国
3)アメリカ
のすべてを否定しようとしつつ、どれも否定しきれずにいる。
〈みずからのアイデンティティに不満や不全感を持ちながら、それにどう対処すればいいのか分からずにいる〉という、
戦後日本の根本的なジレンマがみごとに表れているのです。
昨年ヒットした『シン・ゴジラ』も、あいかわらずこの点を処理できないままだったことは、ご覧になった方ならお分かりでしょう。
戦後の対米従属に異議申し立てをするかに見せつつ、結局は日米の親密な結びつきを再確認して終わったわけですからね。
これだけ矛盾が深ければ、炎上だって起ころうというもの。
戦後日本は炎上の起こりやすい条件がそろった国なのです。
論より証拠、ゴジラは放射能火炎を吐いて、都市を炎上させるではありませんか。
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だとしても、くだんのジレンマはどんな顛末に行き着くのか?
これについても、ゴジラは端的な答えを提示しました。