「100年安心」と謳っていた年金制度を、ついに政府自らが維持困難と公表。老後は2,000万円ほど足りなくなるとの具体的な試算を示したことで話題になっています。しかし、これは2004年の時点で見えていた結果です。(『らぽーる・マガジン』)
※本記事は、『らぽーる・マガジン』 2019年6月10日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会に今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
制度依存か、自助努力か。年金を変えるために社会構造を変える?
「100年安心」年金プランはどこへ
100年安心。2004年小泉内閣のときに、坂口力厚生労働大臣(公明党)のもとで行われた年金改革の名称というかキャッチフレーズのようなもので、当時、長期的な時間軸を視野に入れて年金財政を考えることが重要ということから、おおむね100年間を対象期間として、年金財政を推計していることに由来しています。
2004年に行われた推計では2005年度から2100年度まで、2009年に行われた推計では2010年度から2105年度までの、いずれも96年間が対象期間となっています。
厚生労働省自身は、この96年間において「収支相等」であると説明しています。
年金用語である「収支相等」は、生命保険でも使われる用語です。生命保険では、集めた保険料(収入)と支払った保険金(支出)が等しくなることが基本となっていて、これを「収支相等の原則」と言います。
計算式では、
となります。
つまり「100年安心年金プラン」では、推計の対象期間において「収支の帳尻が合う」ことを「収支相等」と表現し、年金保険料と年金支給額が帳尻が合うように年金制度を設計したと表現したと、当時の政府は説明していました。
本当に収支の帳尻が合うのか?
2004年の「年金改正」の柱は、次の3つにありました。
・保険料率を毎年度段階的に引き上げ、2017年度以降は固定する
・マクロ経済スライドを導入し、給付水準の段階的抑制を図る
・基礎年金拠出金に対する国庫負担割合を3分の1から、2009年度までに2分の1へ引き上げる
上記により、「収支相等」としたとしています。
つまり、
により、「収支相等」としたわけです。
私は当時、某IT企業労働組合の依頼により、この「100年安心年金制度」の解説記事として12回に分けたコラムとして提供しました。そのコラムを紐解いてみますと、当時の話題は、
・第3号被保険者の特例措置
・育児休業中の保健用免除そして
・離婚時の年金分割
でした。
それぞれの解説は省略しますが、当時コラムで、「100年安心」制度設計の前提となるデータの取り方に問題があることを指摘しています。
その内容をいまあらためて引き出してみます。