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「天皇制国家」と日本会議~現代日本人を虜にする国家神道的メンタリティ=高島康司

戦前の国家神道もスピリチュアリズムを基礎としていた

実は、戦前の日本の国家神道にも、記紀神話を通して日本古来の神々とつながり、これを直接体験するケースが非常に多かったのだ。戦前の日本特有のスピリチュアリズムである。

たとえば、1920年代に日本の神聖性を強く訴え、超国家主義を主導して後続の世代に大きな影響を与えた渥美勝という人物は、日本神話による自己救済という境地を開いたとされる。

渥美は記紀神話の意味を直観的に感じとることを通して、自分を神国日本の精神と同一化し、古代の神々を身近な存在として体験した。この体験から得られた啓示によって、自分の生きる意味を見いだした。

さらに、1932年に「血盟団事件」を引き起こし、大蔵大臣だった井上順之介や三井財閥総帥の団琢磨を暗殺した日蓮宗の僧侶、井上日召の神秘体験は壮絶だ。日召の自伝から引用する。

「最初にもちこんだ米がなくなると、草をたべて腹をみたし、坐りつづけて題目を唱え、唱えつづけて死のうと決心した。幾十日すると心身に異常をおぼえ、半ば発狂を呈した。くるわば狂えとなおも精進、ついに一道を見いだした。見るもの悉く大光明の世界」

「自分の暗殺は神秘的な暗殺である。目的を果した時に自分は始めて、自分と云ふ者を認め、団と云ふ者を認めた」

「一種不可思議な気持になって、突然ニッショウーと叫んだ。その後、お堂に入って、お題目を唱えていると、突然薄紫の、天地を貫ぬくような光明が、東の方からパッと通り過ぎた!すると、なんだかひとりで立上りたい気持になって、あたりを見渡すと、目につくものが、なにもかも、天地万物がことごとく一大歓喜している。

しかも、そのまま私自身なのだ、という感じがする。宇宙大自然は私自身だ、という一如の感じがする。『天地は一体である』『万物は同根である』という感じがひしひしと身に迫る。かつて覚えたこともない、異様な神秘な心境である!『妙だなあ』と思って、試みに、これまでの疑問を、今悟り得た境地に照らしながら、静かに繰返して考えて見ると、驚くべし、三十年間の疑問が、残らず氷解してしまったではないか!」

井上日召のこの体験も、神国日本の神聖な源泉である神々の生命力を直接体験し、それによって得られた啓示であるとも見ることができる。

明治末期から急に増えた記紀神話の神秘体験

このような神秘体験は、「日本改造法案大綱」を著し戦前の日本の右翼思想の骨格を形成した北一輝や、日米開戦を予言する著作を著し、満州事変を主導した石原莞爾のような超国家主義の大物も多く接していることは有名だ。

しかし当時、こうした神秘体験は決して特殊なものではなかった。明治の末期から、神秘体験は当時の青年層に比較的に広く広まっていたようだ。明治の末期は日本の産業革命が進展し、伝統的な農村共同体の解体が急速に進んだ時期だ。

この時期には農村から放逐された青年が都市にあふれ、スラム化していた。こうした人々は、所属する共同体が存在せず、生活が不安定で将来の見通しも立たない孤立した個人だった。

こうした青年層が引きつけられたのは、記紀神話による神秘体験だった。先に書いた渥美勝と同じように、記紀神話の直観的な読み取りを通して神国日本と自己同一化し、日本の神々と交信して自分の生きる意味を見い出す道だった。当時の日本にはこうした神秘体験をする人々が多く存在し、それらは生き方に迷った青年を多く引き寄せていた。

そうした日本独特のスピリチュアリズムは、関東大震災や度重なる恐慌で疲弊した昭和初期の日本ではさらに勢いを増していたと思われる。

Next: スピリチュアリズムを利用するであろう安倍政権と日本会議

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