「自由」が自国の産業を潰していく
政治力と資金力のある外国企業は、場合によっては圧倒的な競争力でその分野を乗っ取ることが可能になる。この乗っ取り方法で、乗っ取りたい側が常に訴えるのが「自由」という甘美な言葉なのである。
たとえば、このような言い方をする。
「自由競争は重要です。競争によって企業同士が切磋琢磨して新しいサービス、安い商品が手に入るようになります」。
自由競争によって、安い商品が怒濤のように入ってくるのは間違いではない。国民は常に安い商品を求めている。国民が欲しいのは自国製品ではなく、安い製品なのである。
新自由主義、構造改革、民営化によって、安い製品やサービスが入ってきた時、それを提供しているのは外国企業の製品であるということを多くの国民は気付いている。
しかし、国民の少なからずは「安ければ何でも良い」ので、安い製品を買うことに躊躇はない。その結果、安い外国企業の製品が市場を独占し、自国の産業は潰れていく。
裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない
この自由競争の物語は続きがある。国をすべて乗っ取るには、ここからが本番だ。
外国企業はある国に自由競争を取り入れさせると、そこで自分たちが市場を独占したと悟られないように、弱体化した地場産業を買収して、その地場産業のブランドを残しつつ市場独占を進めていく。
国民は自国製品を買っているつもりでいるのだが、実はもう外国企業の手に落ちているので、自国のものではなくなってしまっている。
ブランドが残されると、それが外国企業であることに多くの国民が気付かないのである。
それで、自由競争が行われていると勘違いするのだが、その裏では産業の乗っ取りと独占が粛々と行われているということになる。
市場を乗っ取り、市場を独占することが可能になると、その市場からは永遠に利益を吸い上げることが可能になる。
企業にとっては利益こそが生きるための養分であり、利益を第一に動く。最も安定的かつ永続的な利益は、独占から生まれる。国を丸ごと乗っ取れば、その国から永続的に利益が吸い上げられる。
だから「自由」という言葉を表に出して、「乗っ取り=独占」という裏の意図を見えなくするのである。
1. 自由競争によって、世の中は発展していく
2. 自由競争によって、どんどん良い物が生まれる
このような神話は、資本主義社会に生きる私たちの誰もが脳に刻み込まれ、それが正しいものであると信じ込まされている。
しかし、物事には表があれば裏もある。この裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない。
都合が悪いからだ。