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最高裁“合憲”判断の「夫婦同姓」を攻撃する内外メディア、日本人はどちらを選ぶのか=鈴木傾城

世界はどのようになっているのか?

世界はどうなっているのだろうか。まず、夫婦の名前というのは、ひとつの国でも統一されていないことが多く、かなり大雑把で柔軟にできている国が多い。

インドはその典型で、人によって、家族によって、村によって、宗教によって、まったく違う考え方をする人たちが山ほどいて、このあたりが日本と違って面白い。

夫婦同姓の夫婦もいれば、夫婦別姓の夫婦もいれば、その宗教を信じている人が全員丸ごと同じ姓であるというのもある。たとえば、ターバンで有名なシーク教徒は、そのほとんどが「シン」という名前である。

家族どころか、同一宗教で同一姓なのである。

名首相と誉れ高かったマンモハン・シン氏も「シン」とあるのを見ても分かる通りシーク教徒である。宗教でみんな姓が同じなど日本で考えられないが、世界を見回すとそういう決まりを採用した共同体もある。

かと思えば、女性も男性も「父親の名前」を引き継ぐのがしきたりという名前の付け方もある。

その場合、女性が結婚しても、名前が変わらないので、結果的に夫婦別姓となる。ベトナムやモンゴルなどではそうなっているという。

名前は「結婚するときに選択できる」「ミドル・ネームに取り入れることができる」というのが欧米で見られるスタイルだ。

このスタイルを取り入れているのは、イギリス、オランダ、アメリカ、オーストラリア、ポーランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ロシア、ウクライナ、ブルガリア、フランス等、枚挙にいとまがない。

選択だから、どのように選択してもいいのだが、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツでは、そのほとんどが日本と同じで夫婦同姓となる。「夫婦は一心同体になる」というキリスト教的な思想がそうさせていると言われている。

マスコミは何かと「ドイツを見習え」というのだが、こういう時はドイツを見習えとは言わないのは皮肉なことだ。

100人いたら、100人が違う意見と感覚を持つ問題

結婚して名前をどうするのかというのは、その国の伝統や文化があって、それが大きな習慣や社会的秩序となって続いている。他の国がどうなのかはまったく関係ない。他の国は「すべて違う」のだ。

その国の文化やアイデンティティがそれを定義している。だから、これを覆す動きが起きると、非常に巨大な抵抗に直面することになる。

日本で夫婦同姓が継続されていて、多くの人がそれを自然に受け入れているのは、以下の気持ちがあるからだ。

「夫婦同姓によって家族としての一体感を得られる」
「夫婦同姓で一心同体という覚悟が生まれる」
「夫の姓に変わることで結婚したことを対外的に告知できる」
「夫婦別姓では、もっと離婚が増加するかも?」
「好きな人の名前に変わるのは幸せなこと」
「なぜ、中国や韓国の真似をしなければならないのか」
「合理性や効率性よりも大事なものが伝統」

多くの意見があるのだが、言うまでもなく「自分の名前」を捉える感受性や感覚や重みというのは人それぞれ違っている。100人いたら、100人が違う意見と感覚を持つ問題だ。

つまり、夫婦同姓か別姓かの問いかけは、日本でどんなに時間をかけて議論をしても、全員一致の多数決になることは絶対にない。

だから、この問題がどのような解決を見るのかは、世の中の趨勢で決まる。どうなるのかは、本当に誰も分からない。

Next: 日本人はどちらを選ぶのか。反対・賛成それぞれの主張に背景がある

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