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9.22相場介入は円安時代の幕開けを告げる歴史的記念日となるか?円高時代の起点となったプラザ合意と同月同日という出来すぎたシナリオ=山崎和邦

9月22日、日本は単独で強力な円買い介入を行った。37年前の同月同日にはプラザ合意により、円高の時代を迎え、日本は国力を大きく落としていくきっかけとなった。今回の円買いは、日本が円安の時代を迎え、再興に向かう歴史的な転機の日だったのかもしれない。(「週報『投機の流儀』」山崎和邦)

※本記事は有料メルマガ『山崎和邦 週報『投機の流儀』』2022年10月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にご購読をどうぞ。

プロフィール:山崎和邦(やまざき かずくに)
1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年、同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院教授、同大学名誉教授。大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴61年、前半は野村証券で投資家の資金を運用する「セルサイド」、後半は自己資金で金融運用する「バイサイド」、晩年は現役研究者と、3つの立場で語ることを信条とする。2022年85歳で国際コミュニケーション学博士号を取得。

世界で類を見ない日銀の頑固さ

日銀の早すぎる政策転換が厳しく批判された時があった。2000年のゼロ金利解除である。これはITバブル崩壊・暴落の引き金に充分になり得た。

その次には2006年3月の福井総裁の量的緩和解除であった。福井総裁は03年に就任した時に、デフレが止まるまで金融緩和を続けると力強く言ったし、その年の4月に小泉政権が大きく方向転換して、いわゆる竹中プランと称する不良債権処理のハードランニングを執行したことから、株価は2倍半(7,600円→18,260円)になったが、そこで福井総裁が量的緩和を解除した。これは少々早過ぎるという批判を浴びた。その翌年に、不運なことにアメリカの住宅債権バブルが契機で、08年のリーマンショックを起こした、いわゆるサブプライム破綻による、パリバ銀行の危機→リーマンショックの淵源→08年秋から09年春にかけての暴落となった。

1990年代、日本はバブル崩壊と三重野康のオーバーキルによる資産市場の崩壊と、日本経済の衰退を招いたその時に、アメリカはルービン財務長官が「強いドルは国益にかなう」と言い続けた。そして、これを背景に米国に資金が流入した。

黒田日銀総裁は、2000年や2006年の「早すぎた日銀の政策転換」の轍を踏まないことを学習したのか、あるいはアベノミクス壮年期に見せた、あの絶妙な策士ぶりと相場師ぶりによる直観なのか、計量経済学上の論拠があるのか「円安は国益にかなう」とでも言いたげに、いくら円安を批判されてもマイナス金利や長短金利コントロールを頑なに変えない。

2000年と2006年の逆の批判が起きているが、頑として聞かない。輸入物価上昇などのデメリットを痛感する個人消費家や輸入業者からは多くの批判が来ているだろうが、輸出大企業を中心とした円安メリットは、経済全体に対してメリットが大きいと考えているのであろうか。

日銀の頑固さというか、終始一貫というか、これは世界で類を見ない。

円買い介入後も消えない円安圧力

財務省・日銀が1998年以降、24年ぶりに単独の強力な円買いに入った。しかし、日米の金利差は15年ぶりの水準である。ひとことで言えば、ファンダメンタルはそのまま放置して、需給関係だけで相場操縦するのが、今回の円買いの介入である。当然、効き目は限定的だ。

NY市場では一時は140円台の円高方向に振れたが、その後はじりじりと円安方向に押し戻されている。ロンドンでも同じ傾向にある。金融引き締めを急ぐ海外と金融緩和を貫く日本、この対照であるから、ファンダメンタルは依然として変わらない。需給関係だけの相場操縦には限度があると見る。

Next: 37年前の同月同日とは逆方向への相場操縦が日本再興の転機となる理由

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