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勝ちパターンに入ったジョージ・ソロス「人民元売り崩し」の勝算は?=東条雅彦

天才・ソロスはいつも「半固定相場」を売り崩して儲けてきた

半固定相場とは、固定相場制から変動相場制に移行する際に導入される一時的な仕組みです。

固定相場制の<方法その1>を採用して、通貨当局(政府や中央銀行)が市場に介入します。

ただし、価格が固定になるまで介入を行うのではなく、ある決められた範囲の変動は許すというスタンスです(例:1日2%までの変動を許す)。

1992年ポンド危機と「イングランド銀行を潰した男」の誕生

1992年、イギリスは欧州通貨制度(EMS)に加盟していました。EMSとは、加盟国間で通貨変動が年±2.25%以内に抑えることを原則として、ユーロ導入までの移行期間的システムのことです。

1992年時点ではイギリスも他の欧州諸国と足並みを揃えて、ユーロを導入する方向で進んでいました。そこでジョージ・ソロスは、EMSの「年±2.25%以内に抑える」というルールに着目したのです。

通貨の変動幅を2.25%以内に抑えるために、イギリスは為替介入を行わなければいけません。

ソロスは「相場は必ず間違っている」が持論です!この時も、ポンド相場が実勢に合わないほど高止まりしていると考えていました。

1992年9月には、ポンドへの売り浴びせは激しさを増しました。イングランド銀行はポンドの変動幅を2.25%以内に抑えようと、反対売買のために、ポンドを買い増しします。

9月15日(火)には、激しいポンド売りにより変動制限ライン(±2.25%)を超えてしまいました。

そして、翌日の9月16日(水)にソロスはポンド売りをさらに加速させました。

1992年9月16日(水)に何が起こったか?

・午前11時、イングランド銀行はポンド買いの市場介入に加えて、政策金利を10%から12%へ引き上げました。
→金利が上がれば、ポンドを売っている投資家は逆に金利を支払わなければならず、「ポンド売り」の意欲がなくす効果があります。
→金利が上がれば、単純にポンドを買う動機に繋がります。
→しかしながら、ポンド売りが止まりませんでした。

・午後2時、もう一度、政策金利を引き上げて、15%にしました。
→それでもポンド売りの流れは止まりませんでした。
→ついに、イングランド銀行は自己資金を使い果たしてしまい、ポンドの買い支えができなくなってしまいました。

・午後4時、イギリスはEMSからの脱退を発表しました。
→このような経緯でイギリスはユーロを導入できなくなり、ポンドが生き残りました(結果的にはこれで良かったという声も多い)。

後に、1992年9月16日(水)は「ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)」と呼ばれるようになりました。この日からイギリスポンドはドイツマルクに対して、たったの14営業日で約14%も下落してしまったのです。

Next: 1997年「アジア通貨危機」とジョージ・ソロスの関係は?

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