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東芝はなぜ「モノづくりよりもカネづくり」のダメ企業に堕ちたのか?=近藤駿介

東芝は「モノづくり」ではなく「決算数字づくり」で失敗した

上場廃止の危機に瀕している東芝は、WHが米連邦破産法第11条(チャプター11)の適用を受けることで将来の原子力事業のリスクを切り離すと同時に、収益の柱である半導体事業を売却し必要な資金を確保することで再生を図ろうとしている。

しかし、半導体事業を売却して当座必要な資金を確保することで東芝は再生するのだろうか。筆者は疑問である。

からくり人形の「弓曳き童子」や白熱電球、電気洗濯機、カラーテレビ、ラップトップPC、DVDプレーヤー等々「モノづくり」で戦後の日本経済を牽引してきた東芝が、不正会計問題が明らかになって以降、生き残るという目的だけのために、収益を生む「モノづくり」事業を次々に売却し「カネづくり」「決算数字づくり」に奔走し続けている。

見落としてはならないのは、東芝が窮地に追い込まれた原因は「モノづくり」の失敗ではなく、「決算数字づくり」の失敗にあったということだ。

2015年に発覚した東芝の不正会計問題を調査した第三者委員会は、その報告のなかで、不正の原因は「当期利益至上主義と目標必達のプレッシャー」だと指摘している。

ここで思い出すのは、1979年にエズラ・ヴォーゲル ハーバード大学教授が著しベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』である。ヴォーゲル教授はその著書の中で、日本企業が業績を上げている要因の1つとして「目先の利益でなく長期的な利益を上げることの重視」を挙げている。

時代が変わったことは確かだが、日本企業が持っている元々の強みは「目先の利益でなく長期的な利益を上げることの重視」だったことは確かである。

「相手の土俵」で異種格闘技戦に挑んだバブル崩壊後の日本

しかし、日本は1990年のバブル崩壊を機に日本型経営を否定し、欧米流の合理的経営に大きく舵を切った。それとともに従業員の評価も経営者の評価も短期的成果主義に変わり、会社全体も短期的利益を求める体質になっていった。

こうした変化の是非はともかく、日本人や日本企業が本来の強みを放棄し、相手の得意な土俵で、自分が得意ではない異種格闘技戦に打って出た面があるのは事実である。

東芝が不正会計に手を染め始めたのは、パソコン事業の功績者として社長にまで上り詰めた西田社長時代(2005年6月~2009年6月)だったと言われている。そして、不正会計で嵩上げされた利益の4割は、PC事業におけるバイセル取引(自社で調達した部品をODM先に販売し、完成したPCを買い取るという一連の取引)を利用した不正だったとされている。

経営者が不正をしてでも利益の嵩上げに走る動機は、経営者の評価と報酬が短期的な利益に連動するようになったことが大きいはずである。

短期的な利益を出した人間が評価され出世していけば、会社全体が短期的利益至上主義になっていくのは当然の流れで、一旦こうした流れができてしまうと、それを止めるのは容易いことではない。

結局こうした不正会計は後任の佐々木、田中両社長時代に引き継がれ、2008年度から14年度の4~12月期まで、計1562億円の利益が嵩上げされることになった。原子力子会社WHに伴う損失隠しも、こうした流れの中で行われたと捉えるべきだろう。

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