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長生きが罰になる日本で「安楽死」を甘えと切り捨てる偽善者に告ぐ=鈴木傾城

困窮していく高齢層は減っていくことはない

本来であれば、生活保護を受けなければならないほどの貧困の中にあるのに、プライドからそれを拒絶して極貧の中で生活している人もいるし、生活保護という救済制度を知らないで苦しんでいる高齢層も多い。

こうした層が生活保護に流れ込むと、生活保護受給者の数はいくらでも増えていくのは目に見えている。

そして、困窮していく高齢層は減っていくことはない。これから1947年から1949年生まれの団塊の世代が、そしてその後は団塊の世代ジュニアが高齢化して生活苦に落ちていくことになるからだ。

こうした現状は大都市に住んでいる人間はあまり実感しないが、地方に住む人たちは共通して危機感を持っている。地方は、もうとっくの前に見捨てられた高齢層だらけになっているからだ。

少子高齢化の中で、日本は地方から崩壊していくという認識を私たちは持たなければならない。

【関連】日本人は地方を見捨てるのか。2024年、少子高齢化で認知症が這い回る地獄絵図となる=鈴木傾城

高齢層の存在は「社会的コスト」に

金融広報中央委員会の『家計の金融行動に関する世論調査(2人以上世帯調査)』では、老後の生活について「心配である」と回答した世帯の割合は83.4%であったことを記している。

ほとんどの高齢層は長生きすることのリスクを感じているのだ。

そこに喜びなどない。歳を取って身体が動かなくなり、誰からも必要とされなくなってしまい、その上にカネもなくなってしまうのだから、高齢層が抱えているのは「不安」というよりも「恐怖」というのが近い。

想定以上に長生きしてしまうリスクは、最終的に「カネをどうするのか」という問題に帰結していく。

生活費はどうするのか。医療費はどうするのか。介護費用はどうするのか。貯金を使い果たしたらどうするのか……。

こうした問題が長生きした高齢者にのしかかるのだが、実際にそうなったらもはや高齢者ひとりの力ではどうにもならない。無い袖は振れない。かと言って「働く」という選択肢も取れない。

「ただ生きているだけ」の人生となるのだ。だから、最終的には高齢層は社会が面倒をみるしかないのである。

増え続ける高齢層を資本主義社会では「社会的コスト」と言われるようになる。自分が「社会的コスト」と呼ばれるようになっても長生きしたいと思う高齢層はひとりもいない。それは人間の尊厳を破壊する言い方でもある。

しかし、長生きする人が増えれば増えるほど社会保障制度は危機的になっていくので、高齢化社会が進めば進むほど高齢層の存在は「社会的コスト」と扱われるようになっていき、「社会問題」と見られるようになる。

Next: 全体の41.2%が「長生きしたくない」。尊厳死を認めるしかない?

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