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「夢は叶う」が人生を壊す。天職は“あきらめ”の向こう側にある=午堂登紀雄

10億円の貯金があっても、あなたはその仕事を選ぶか?

仕事に関してもたとえば、
・その職業を選んだのはそもそも何のためだったか?
・その会社を選んだのはそもそも何のためだったか?
・そもそも何を期待して、あるいは何を実現しようとしてそれを選んだのか?
・それは期待通りだったか?実現できたか?
・そうでなかったら何が理由なのか?
・そうでない原因が自分にあるとしたら、自分の判断や行動の何が適切でなかったのか?
・もし宝くじで10億円が当たっても、いまの仕事を選ぶか?
・自分が望む職業人生にするには、いまの仕事・いまの会社は本当に適しているのか?
などを振り返ってみる。

あるいは「もし10億円の貯金があってもそれを選ぶ?」と、別の視点や可能性を探る問いを立ててみるのです。

私自身、こうして自分に問いかけた結果、見えなかった重い荷物を背負っていたことに気づき、それを下ろすことができました。

まずは思い込みを疑うこと。「あきらめ」の先に望む人生がある

以前から繰り返し書いていることではありますが、起業したばかりの頃の私は、「企業はたくさん売ってたくさんの人を雇って成長を続けなければならない」と思い込んでいたのです。だから社内でも「上場するぞ!」などとはっぱをかけていました。

しかし、徐々に組織のマネジメントに疲弊し、むなしさを感じながら働いている自分を自覚するようになりました。そして自問自答する日々が続きました。

「会社は売上を上げ続けなければならないと思っていたけど本当に?」
「それは誰のため?」
「何のため?」
「給与を払って雇用を維持し、従業員の暮らしを守ること?」
「それは自分のためではないよな?」
「いや、そもそも仕事は他人のためにやるものであり、人の役に立つからこそお金をいただけるはず」
「しかし、こんな晴れない気分で仕事をするのは単なる自己犠牲ではないか?」
「仕事を楽しめていないということは、その時間は苦痛そのものであり、人生の無駄遣いじゃないか?」
「その先に明るい人生の展望は描けるか?」
「いや、こんな生活が続くとしたら楽しくない」
「そもそも自分は何を目指していたんだっけ?」
「自由だったはず」
「であれば、人を雇ってオフィスを構えて自分もそこに出社するという働き方は、自由からは逸脱してるんじゃないか?」

という感じで、とうとう会社の縮小に動く決断をしました。ちょうどその頃、リーマン・ショックの影響で業績が落ち、社員がひとりまたひとりと辞めていたタイミング。

そして直後、東日本大震災で原発事故が起き、「危機回避のためにはやはりひとりのほうが動きやすい」と考え、残った従業員には割増退職金を払って辞めてもらい、オフィスも解約して自営業者となって今に至ります。

現在は投資事業や起業家養成事業、そしてこのような執筆業が主な仕事ですが、では「宝くじで10億円当たってもやるか?」と言われれば、おそらく「やる」と思います。

何もしない生活はヒマで退屈ですから、やはり本能が求める仕事をやるだろう。そのひとつがこの「書く」行為です。これはお金のあるなしに関係なく続けたいと思います。

もちろん依頼が来ればの話ですが、来なければブログに注力すると思います。

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