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YouTubeが日本社会を乗っ取る日。コロナ禍で「一強」加速、動画を独占される危うさ=鈴木傾城

次の時代は決定的に「動画」がインターネットを制する

2010年代のSNSも、やはりテキストが主体であったのは確かだ、しかし、この頃になると必ずしもテキスト「だけ」がコンテンツの主流であったわけではない。回線が太くなるにつれて高解像度の写真も、そして動画も見られるようになっていた。

SNSが爆発的に広がると同時に、YouTubeなどの動画コンテンツもまた驚異的な成長を見ていたのだ。時代は「読む」から「見る」へと変化していったとも言える。

回線が太くなればなるほど、人々は「もっとリッチなコンテンツ」を求めるようになっていたのだ。

コンテンツは、テキストから画像に、画像から動画へと、リッチなコンテンツに向かって突き進んでいるのは、人々はリッチなコンテンツが好きだからでもある。

リアルな社会で、人々が最も時間をかけるコンテンツは、書籍でもラジオでも音楽CDでもない。これらの媒体もそれぞれ生き残っているのだが王者ではない。

王者は「テレビ」である。「動画」が人々の心を捉えている。

リアルな社会がそうであるのなら、インターネットもまたそうなるのは誰が考えても当然のことであると思うはずだ。だから、回線の問題が解消されるにしたがって、コンテンツの主流はテキストから「動画」に変わっていこうとしているのだ。

次世代通信規格の「5G」は、今の4Gとは比べものにならないほどの通信速度とトラフィックである。

そうであれば、次の時代は決定的に「動画」がインターネットを制することになるのは当然と言えば当然のことだ。動画は今よりもずっと高解像度化し、さらにVR(バーチャル・リアリティー)や、AR(拡張現実)なども進化して、動画の表現はより多彩になる。

YouTube「一強」で何が起こるか?

インターネットのコンテンツは動画に収斂していく。

ただ、懸念はどんどん強くなっている。企業や個人がコンテンツとして大量の動画を上げるとするならば、先に述べた通り、動画サイトは圧倒的にYouTube「一強」になっているからだ。

「本当にこのままでいいのだろうか」「YouTubeの対抗馬がなくてもいいのか」と言う声もよく聞くようになった。

YouTubeは確かに凄まじいスケールのインフラによって成り立っている面もあって、新興企業がYouTubeと同じくらいの規模でサービスを始めるのはかなり難しいように思える。

そのため、YouTubeが勝手に「利用規約」を自社の都合で変えても、使用者はそれに従わざるを得ない。事実、YouTubeはしばしば利用規約を変更して、そのたびにユーザーは翻弄されている。

YouTubeというサービスを運営するアルファベットは一民間企業であり、自社サービスの運用規約をいくらでも好きに変えることができる。自社に都合の悪い人間のアカウントを勝手に削除することもできる。

たとえば、アルファベットはリベラルを柱とした企業なので、右派思想のコンテンツはしばしば削除されているような例もある。もし削除されたら、ユーザーは他に行くところがない。

一企業がプラットフォームを支配するというのは、そういうことなのだ。

Next: アカウント削除も自由にできるYouTube「一強」の危うさ

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