若くして「FIRE」を目指す危うさと愚かさについて書いた前回記事に対して、賛否両論ありました。特に当事者の若者たちにはカチンと来る内容だったようです。若者は人生経験の浅さゆえに「積み上げるべき人的資本」が何なのか、そして経験値の重要さにピンとこないのだと思います。今回は前回記事の内容を補足しつつ、反対意見に対して私の意見を述べます。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)
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プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
若者は「経験値」の重要さに気づかない
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それでツイッターにまた難癖野郎が現れたのですが、自分の考えと違うからといって反発する人は少なくないようです。特に後半の「FIRE」に関する部分にカチンときたようです。気に入らないならスルーすればいいだけなのにそれができないということは、何か刺さる(というか図星?)ことがあったのでしょう。
私の労働観は「マッチョだ」という指摘なのですが、マッチョって何だろう?がむしゃら的な?がむしゃらという表現が気になるなら、「没頭」「集中」「夢中」と言い換えてもいい。しかし、たとえば部活で試合に勝つために必死で練習することを、マッチョだとか現代の価値観に合わないとか言うのでしょうか。けれども、それじゃ試合には永遠に勝てない。強い人、強いチームは、強いだけの理由があるわけです。
「人生は試合ではない」のはもちろんその通りですが、しかし周囲が努力をすれば、努力しない人は自動的に下流に押し流される。能力が高まらなければ、自分にあてがわれるのは誰でもできる仕事のみ。すると当然、賃金は安くなり、雇用も不安定になる。
何も夜討ち朝駆け的に24時間働けなどとは言っていないのですが、そう受け止めるということは、おそらく努力が嫌なのでしょう。
「節約貯金も立派な努力だ」という反論もあるかもしれませんが、節約貯金はあまり考えなくてもできますから、考えるのも面倒なのだと思います。
それでこの記事のツイッターボタンを押してみると、若者と思われる人たちからの非難がすごい(ある程度経験を積んだであろうと思われる人からは肯定的な意見)。
若者は人生経験の浅さゆえに「積み上げるべき人的資本」が何なのか、そして経験値の重要さにピンとこないのだと思います。
仕事を通じて成長することの意味
たとえば、重要なポジションに就いたり新しいプロジェクトの担当者になったりして、周囲から評価され成長実感が得られればおそらく仕事観も変わると思いますが、そういう機会がなかったのでしょう。
「自分の能力が高まっている」「実力がついている」という成長実感はとてもワクワクします。「会社や上司から期待されている」という感覚は、貢献欲求が満たされます。「自分の責任を果たしている」という納得感は、モチベーションにもなります。
こういう感覚はとても貴重だし、自信や希望への土台になるものですが、感じたことすらないのだと思います。
また、「仕事は激務で搾取され会社が信用できないからFIREを目指す」という意見もありましたが、ならばそもそも「どうすれば仕事や会社が楽しくなるか」と視座を上げて考えればいいものですが、そういう考えもないようです。
おそらくこういう人は抽象化思考力が低いのだと思います。
だから「この仕事はこういう意味がある」「この仕事を通じてこういうスキルが得られる」「自分の価値を高めるために必要なのはあのような経験だ」などと上位の観点から考えられない。
ゆえに「与えられた仕事をやるだけ」「仕事をやらされている」という感覚で、自ら仕事を創り出すという姿勢がないのでしょう。仕事の基本は「相手の役に立つことで対価をいただく」ことであり、本来は充実する行為なのですが。
それに、そんなに仕事がイヤなら転職すればいいし、会社員がイヤなら起業して好きなことをすればいいのに、「会社を辞める」「仕事をしない」という極端な発想へと飛んでしまう。