まず、レバノンだが、1982年にはレバノンに侵攻し、首都ベイルートまで占領した。「パレスチナ解放機構(PLO)」を排除することが目的であった。1967年の第三次中東戦争以来続いていた、イスラエルのヨルダン川西岸地区、ガザ地区、東エルサレム占領に対するパレスチナ人の抵抗を鎮圧しようとしたのだ。
1982年は、イランで新たに樹立されたイスラム政権の支援を受けて「ヒズボラ」が結成された年でもある。イスラエルはその後、国境の北側に安全地帯を確保したが、ヒズボラの激しい抵抗に直面した。イスラエルの死傷者が増える中、当時の首相エフード・バラクは2000年に一方的な撤退を行った。
撤退により、「ヒズボラ」はイスラエルとその同盟国に対する強力な政治・準軍事勢力として、その人気と力を増大させた。
またイスラエルは2006年、「ヒズボラ」を壊滅させるためにレバノンに侵攻した。しかし、その目的は達成できなかった。34日間にわたる血みどろの戦闘と双方に多大な犠牲者を出した後、イスラエルは「ヒズボラ」の勝利という形で、国連安全保障理事会の停戦決議を受け入れた。
2006年当時と同じような状況
現在のイスラエルの軍事力は、「ヒズボラ」に敗北した2006年当時よりも強大になっていること間違いない。しかし、「ヒズボラ」はハマスとは異なり、損傷は受けているものの、15万発から20万発のミサイルを持ち、依然としてかなりの武器を保有している。戦略的に有利な位置を占めている。「ヒズボラ」はイスラエルの占領に対して際限のない抵抗を続けることができるだろう。これはイスラエルにとって人的・物的コストの面で大きな負担となり、多くのイスラエル人が北部イスラエルへの帰郷を妨げられる可能性もある。
そのような状態なので、いまイスラエルはレバノン南部に侵攻しつつあるものの、最終的には2006年と同じような敗北を経験する可能性もある。
またイスラエルのレバノン攻撃と侵攻は、「ヒズボラ」がイスラエルに対する防備で手薄になっていた時期に行われた。近年「ヒズボラ」はナスララ師の統治下で、完全に別の戦いに専念していた。シリア内戦である。これは多くの結果をもたらした。イスラエルに対する防御と、パレスチナ解放の闘争の優先順位を下げることになった。
また、「ヒズボラ」は規模と政治的重要性を増すにつれ、イスラエルの「モサド」が浸透しやすくなった。この1か月間に行われた主な作戦のいくつか、例えば、仕掛け爆弾付きのポケベルやトランシーバーの供給などは、何年も前から準備されていた。ヒズボラの掩蔽壕の正確な位置や、それらの間での標的の移動も、何年もの作業と調査の結果であった。
しかしシリア内戦が落ち着いたいま、「ヒズボラ」は目標を本格的に転換しつつある。イスラエルとの戦争である。「ヒズボラ」の副司令官のナイル・カッセルは、「イスラエルがレバノンへの地上侵攻を決断した場合、我々は抵抗勢力とともに地上戦に備えている」と主張した。結局イスラエルのレバノン南部の侵攻と「ヒズボラ」の壊滅作戦は、2006年当時と同じように、イスラエルの敗北で終わる可能性は高い。