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間近にみた「哲人投機家」 木佐森吉太郎は新人証券マンに何を語ったか

木佐森吉太郎師と9年越しの再会~ニクソン・ショックの夏

二度目に木佐森師とお会いしたのは、師の自宅に押しかけてから9年後の1971(昭和46)年だ。

当時、私は野村の高崎支店に勤めていて、土曜の午後、支店長と私の二人で、軽井沢に来ておられた野村証券・奥村会長(当時)の別荘を訪ねることになった。然るべき土産を用意し私に持たせた支店長は、京大の先輩にあたる奥村会長と親しかった。

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奥村会長の別荘に到着し通されたその庭、緑陰のあずまやでのことだった。我々以外に先客があって、それが他ならぬ木佐森師であった。

期せずして、奥村会長、木佐森師、支店長、私の4人で緑陰に膝を突き合わせ、当時最大のニュースであったアメリカのドル切り下げについて、奥村説を拝聴する形になった。

その話が一段落した後。驚いたことに木佐森師は9年前の私を記憶しており、穏やかにこう問いかけた。

「どうですか?あの本を捨てられましたかな?」
「いえ、未だその境地にはとても……」
「それで宜しい」

一陣の風が颯と来て卓上のメモ紙を飛ばして木立の中へ運んだ。私はそれを拾ってテーブルに持ち帰り「疾きこと風の如く、ですね」と『孫子』軍争編の一節を軽率にも声に出した。しまった、軽率だった、と思ったら木佐森師は「ますます宜しい」と機嫌よく笑った。

師と私の会話の本意は、奥村会長にも支店長にも解るまい、と思えて大いに得意だった。
生涯忘れないであろうこの夏、ニクソン・ショック(※4)の8月の出来事だった。

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※4 ニクソン・ショック
1971(昭和46)年8月15日、リチャード・ニクソン米大統領はドル防衛を目的として金ドル兌換停止を電撃的に宣言。金1オンス=35米ドルの兌換を保証した戦後の金ドル本位制(ブレトン・ウッズ体制)は終焉し、スミソニアン体制下の米ドル切り下げを経て、各国主要通貨は変動為替相場制に移行することになった
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