間近にみた木佐森吉太郎、その投機哲学の神髄とは
木佐森師には「唐突」の言葉がなかった。市場のすべては起きるべくして起きるのである。
「理外の理」いまで言う「不確定性原理」の神髄を、確率方程式を一切使わずに連想させた。暗黙のうちに語りつくしたとさえ言える。それが「リスク」とどう違うかを哲学書を引用して「行間から悟れ」と言っていた。今のアべノミクスでいう「期待先行」を、「観念相場」という言葉で60年近く前に端的に語りつくした。
この人には「想定外」の言葉もなかった。想定外を想定するのが相場観であると、青年読書子を暗黙のうちに叱りつけていた。
さらには「不透明」の言葉すらなかった。市場は不透明に決まっている。情報不十分に決まっている。透明で情報十分なら判断は要らない。単なる解析で足りる。
判断とは、情報の不確かなもとで決める決然たる意志の所産である。戦場で将軍は濃霧のなか断固として方向を指ささねばならない。そのことをクラウゼヴィッツや孫子を精読し自分で解れと言っていた。木佐森師ほど、青年読書子を古典に誘った人はいなかった。
いっぽうで木佐森師は極端に口数の少ない人だった。私が毎年、信州蓼科高原、無人の蓼科湖畔の緑陰の小屋で、暇にまかせて読んできた新井白石『折たく柴の記』の冒頭にこうある。
「むかし人は、言うべきことあればうち言いて、その余はみだりにもの言わず、言うべき事をも、いかにも言葉多からで、其の義を尽くしたりけり」
まさに、我が師・木佐森吉太郎を彷彿させる。
補足すれば、ウォール街の格言に「儲ける者は語らず、語るものは儲けず」があり、江戸時代のコメ相場(※5)の口伝にも「相場をば、知りたる顔のシタリ顔、知らぬに勝る笑止なりけり」とある。
1730年、江戸幕府の公認を受け大坂堂島(現・大阪市北区堂島浜1)に開設された堂島米会所は、差金決済や敷銀(証拠金)制度など現代に通じる仕組みを備えた世界初の先物取引市場だった。現在広く普及しているローソク足チャートはこの頃に発明されたと言われる
山崎和邦(やまざきかずくに)
1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。
大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。
趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。
著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。
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