当時から見込まれていた「高齢化社会」
また、当時から既に「高齢化が進む」と見込まれていました。そのため、完全に税金だけで支払う「無拠出制」でやってしまうと、後々に巨額の税金が必要になってしまうし、給付も微々たるものになり、しかも所得が高いなら支給しないという所得制限がかけられて、何かと政府の事情で介入されてしまう、という懸念がありました。
そこで、やはりあらかじめ個人で保険料を納めて、支払った保険料が多ければ多いだけの給付を受け、支払った保険料が少なければ少ないだけの給付を受けるという、給付と負担の関係が明確な社会保険方式を取ったのです。
もし全額を税金で支払うとすれば、消費税10%どころか20%でも足りないくらいでしょう。昨年は総額57兆円の年金を支払っているから、消費税が1%上がると、大体2兆7,000億くらい税収が上がるので、やっぱり20%は超えますよね。
税金を上げることがいかに難しいかっていうのは、今までの歴史からわかってる話なのに、未だに税方式に変えるべきという声があるのは不思議。
ただし、昭和36年4月1日時点で既に高齢の人(50歳以上の人)は保険料を納められない、または納める期間が短いから、この辺の人は完全に税金(無拠出制)で福祉年金を支給するしかなかった(当時は月額1,000円。今は月額33,275円)。
昭和36年4月1日時点で50~55歳だった人(明治39年4月2日~明治44年4月1日生まれの人)は任意加入にして、保険料を納めたら無拠出制ではない普通の国民年金を支給。納めなかったら、70歳から福祉年金という形をとりました。
この無拠出制の国民年金(70歳以上の人に支給される福祉年金と呼ばれた)は、昭和34年11月から始まり、まず昭和35年3月3日に11月から2月までの4ヶ月分が支給されました。国から少額ではあるけども年金が支給されるなんて思ってもみなかったので、一般国民からはすごく喜ばれるものだったんですね。
「免除制度」が支える国民皆年金
当時の全就業者4,200万人のうち、とりあえず年金に加入できてなかった人がすべて国民年金に加入する形になりました。ですが、所得の低い所得税納税者2,500万人のうち、新たに国民年金加入対象になったのは400万人くらいしかいなかったんです。住民税の均等割すら、支払えない人も沢山いた。
もし、所得がある人だけに加入させるとすれば、全体の2割程度の人しか加入できなくなってしまう。なので、国民皆年金で国民年金強制加入の形を作ったものの、保険料を支払えなくて加入できない人が多いんじゃ、国民すべてを国民年金に加入させられたとは言えない。そのため、保険料免除制度で保険料を支払えない人もカバーしたというわけです。
国民年金の3分の1は国庫負担(税金)だから、せめてその税金分くらいは受け取れるように(平成21年4月からは国庫負担2分の1に引き上げ)したのです。
その保険料が払えない人までを含めるとすれば、確かに保険としてはどうなのかなという面はあります。ですが、20歳から60歳まで40年もあるから、支払える時に支払ってもらって、支払えない時は免除しようとなりました。
普通は長期保険で保険料を何年も免除したのに、年金を出す仕組みは成り立ちませんけどね。国民全員に保障ができたのは、やはり免除制度の存在が大きいです。