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時に昭和36年、なぜ日本国民の誰もが国民年金の誕生を喜んだのか?=年金アドバイザーhiroki

年金が危ない、破綻するという声がよく聞かれますが、年金制度が作られた過程と目的をご存知でしょうか。もし年金がなくなれば、社会はより混沌とするでしょう。(『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座next』年金アドバイザーhiroki)

※本記事は有料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座next』2017年10月1日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:年金アドバイザーhiroki
1979年生まれ。佐賀県出身。2003年佐賀大学経済学部経済システム課卒業。民間企業に勤務しながら、2009年社会保険労務士試験合格。その翌年に民間企業を退職し、年金相談の現場にて年金相談員を経て、スーパーバイザーの後に統括者として相談員全体の指導教育に携わる。

年金を捨てるなんてとんでもない! 制度創設の経緯と目的を学ぶ

「年金」はみんなに望まれて生まれた

僕はよく「昭和36年4月1日」という日付を出しますが、この日は「年金」にとってはものすごく大事な日です。実は、国民年金国民健康保険(国民健康保険は最初は昭和13年に農業や漁業に適用)で、国民皆年金が達成された日なんです。

ちょっと話が遡りますが、昭和30年の人口は約9,000万人でした。この9,000万人の内、0~14歳の人口は約3,000万人65歳以上の人口は480万人程度で、出生率は安定の2.4くらいでした。

で、全人口に対して全就業者が4,200万人くらいで、そのうち年金(厚生年金や共済、恩給)に加入できていたのは1,200万人程度だったんです。特に自営業や零細企業は年金が無かった。

つまり、年金でカバーされていたのは、全就業者の3分の1程度だったんですね。また、農林水産業のような第一次産業が全就業者の40%を占めていたような頃でした。今は第一次産業は4%以下になっちゃってます。だから、1,200万人の人以外は何の年金もなかったわけです。

昭和17年6月から始まった厚生年金(最初の名称は労働者年金保険で、昭和19年10月に厚生年金保険法により改名された)は戦争でほぼ壊滅しました。ですが、昭和26年あたりから生活水準が戦前の水準に戻ったことで、昭和29年には厚生年金大改正で形を変え、厚生年金が再建されて復活。今度は「国民すべてに年金を頼む!」って声が強くなってきて、昭和33年に国民年金を作ることを公約とした総選挙があり、その時の投票率も80%近くもありました。国民年金の創設はそのくらい強い関心事で、自民党が大勝して、急いで国民年金が作られたわけです(創設は昭和34年4月)。

現代では年金がよく叩かれますが、当時は多くの人々が国民年金を強く望んだわけです。まぁ、本当は国民健康保険を先に優先するつもりが、たまたま昭和36年4月に国民年金創設となり、国民健康保険が適用されてなかった人に同時に適用されることになったんです。

基本は「自己責任」「自助努力」の考え方

この昭和36年4月1に国民が皆、強制的に年金に加入することになったから、よく国民皆年金と呼ばれます。20歳から60歳までの厚生年金や共済年金から外れてる人を強制加入にしました。そして、国民年金保険料納付した期間と免除期間が25年以上の人に対して、支給することになりました。

ただし、サラリーマンや公務員の専業主婦は、国民年金に入らなくても夫が加入している厚生年金や共済年金で守られているし、また学生は支払い能力が無いだろうということで、この人たちは強制加入にせず、加入したければ加入させるという任意加入にしました。

国民年金はできたけど、その時は完全に税金で支給する形(無拠出制)にするのか、保険料を納めて将来に備える(拠出制)形にするのか、意見が分かれました

しかし、やはりあらかじめ自力で備えることは生活態度としては当然だし、日本社会は自己責任で自助努力の考え方に立つことを基に成り立ってるから、保険料を支払って将来に備える形(拠出制)になったのです。「天は自ら助くる者を助く」という言葉がありますが、社会保障も、自ら助くる者を助くわけです。

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