元CEOらは「同情すべきサラリーマン」か、「断罪すべき犯罪者」か?
辞任を余儀なくされた3人の元CEO達はみんなサラリーマンのなれの果てだった。
同じ会社で飯を食い、自分の出身分野でそれなりの実績を上げ、栄進し、たくさんの後継者群を抱え、当該部門の成績に最後までこだわりを持ち、そのビジネスモデルが通用しなくなっても何とか収益を上げ続けさせようとして粉飾を強いた。
一億総サラリーマンともいえる日本ではわかりやすく同情に値する話かもしれないが、世界では、磨き抜かれた経営者プールから選ばれてこなかった能力の劣る経営者たちが犯した犯罪と映る。
東芝がなぜ名門企業かといえば、経営者やそのOBが経団連の会長や企業団体のトップに就くことにある。
名門企業の定義はあいまいであるが、序列好きの日本の社会通念ではそういうことになる。経済団体の役員への道をふさぎたくなかったから東芝のCEO達は「チャレンジ」を強いたとも指摘される。
皮肉な見方ではなく、元CEO達はまだ十分若くバリバリやれるという自信があったからこそ経済団体の役員を目指していたといえる。
バリバリやれるにもかかわらず、順番に東芝を辞めざるを得ない立場に立たされていたから、無理に利益を捻出させようとしたことになる。
まだまだやれると思いながら時間が来れば務め慣れた組織を去らざるを得ないのは、CEOばかりではなく日本のサラリーマンに共通している。
優秀な研究者や技術者も、歳の積み重ねがモノをいう職種にいてさえ、能力と健康や精神状態の如何によらず、決められた年齢に達すれば、事実上首を切られてきた。
定年は国によっては年齢差別になるから法律上許されないが、日本では基本的人権尊重違反にならない。年齢差別の撤廃には実績主義、能力主義の貫徹が条件になるが、そろそろどちらを選択するか日本も問われている。
大学教師という仕事柄、学生の父兄と顔を合わせる機会も少なくなかった。学生の就職に関する懇談会にはお父上が多数来られた。まだ若々しい元気いっぱいのお父上の中には、懇談会のために、わざわざ海外から戻ってこられる方もおられた。
中国や韓国の現場に経験を買われて引っ張られた方たちだった。「向こうでは定年なんて言われないから、ガンガン仕事をしています。なんたって大事にしてくれて、懸命に私から吸収しようとするんですよ」。
何時、職を辞するのかは、本来は、個人がそれぞれの思いに従って決めるべきものなのだ。出処進退にこだわるのもよし、燃え尽きるまでやるのもよし。社会にレールが敷かれていても尊重されるべきは個々人の意思である。
一つ一つ縫い合わせてもキリがないほどに日本的経営慣行は綻びてきた様である。
筆者プロフィール:真殿達(まどのさとる)
国際協力銀行プロジェクトファイナンス部長、審議役等を経て麗澤大学教授。米国ベクテル社とディロン・リードのコンサルタント、東京電力顧問。国際コンサルティンググループ(株アイジック )を主催。資源開発を中心に海外プロジェクト問題への造詣深い。海外投資、国際政治、カントリーリスク問題に詳しい。
『投資の視点』(2015年10月20日号)より一部抜粋
※タイトル、見出し、チャート、太字はMONEY VOICE編集部による
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