書き留めた文字を何度も見返し、ダイヤの原石を磨く
思考やアイデアをどんどん書きとめるのは、そうした忘却から救い、文字という安定的な状態にしてあげるためでもあります。
そして、それらのダイヤの原石を磨くのが、後から何度も見返し追記していくという作業なのですが、そもそも原石が手元に残っていないことには、磨きようがありません。もしかしたら、何十年もの間、みすみす膨大な量のダイヤの原石を捨てているかもしれない。
今までの発想の中には、ビルゲイツも真っ青の素晴らしいアイデアがあったかもしれません。
ですから、そうした忘却から優れたアイデアに結びつくかもしれない発想を救うために、ノートに書いていくことです。
机の上だけでなく、セミナーや講演会、電車の中、ふとんの中、カフェ、家、会社、仕事中、商談中、雑談中、時と場所を選ばずにどんどん書く。
読みたい本、買いたい商品、会いたい人、行きたい場所、心に響いた言葉、興味を抱いて思いついたことも、全て書きとめる。まさに脳外ハードディスクなのです。
脳が自動サーチを始め、夢や目標を実現する
思考ノートが何のために存在しているのか、なぜ私が思考ノートを紹介しているかというと、人生をより楽しく、より有意義に、より充実させるためです。そうならないノート術など、何の意味もありません。よりよい会社員としてのスキルを磨くというのは、ある意味、より客を呼べるサーカス団の象やライオンになろうとしているようなものです。
自分は何を目指して、どんな人生にしたいと思って生きているか。しかしながら、具体的に「これこれこうだ」と明確に言える人は実は多くありません。どんな人生を送りたいか、どんな人生が幸せかというのは、人それぞれ異なります。
では自分は、例えば今日一日の中で、夢や目標の実現のために、どれくらい時間を割いて考えたか。あるいは、あなたの夢実現に欠かせない情報が、いったいくつ集められたか。
それは芸能人が結婚したなどのゴシップネタや、どこかの企業がどこかの企業を買収したなどの単なるニュースではなく、自分の夢や目標の実現に役立つ情報のことです。自分にとって重要な情報を一つも覚えていない場合、目標設定が希薄な状態かもしれません。
その目標が明確でなくても、方向性があれば大丈夫です。
たとえば私の場合、「自由への追求」です。それはこれまでも述べた通り、経済的自由と精神的自由を追求することです。
しかしもし夢も目標もなければ、海にぽっかり浮かぶ、羅針盤のない小船のようなものです。その小船には自分が乗っていますが、どこに行くわけでもありません。
しかし生きなければなりませんから、魚を釣って食いつなぎます。魚の釣り方は上手くなるかもしれません。とりあえず周りの小船と魚を釣る競争をしたり、一緒に網を張って獲ったり、船の見栄えをよくしたりします。
目指すべき大陸も島もないので、波に流されるだけです。およそ80年間、波に揺られながら魚を釣っては食べてを繰り返し、やがてこの世を去る。
ノートの話をしたときに、書く内容がないという人がいます。それは単に夢や目標がないからなのです。だから世の中にあふれている膨大な情報の中から必要な情報を取捨選択できない。夢や目標、あるいは方向性がなければ、日々触れる情報はどれも重要だとは感じないでしょう。
であれば、ノートを常に携えたとしても、何も書くことはできません。夢がない人は、思考ノート術は意味をなさない…。
同期トップで昇進したい、35歳までに1戸建てを買いたい、定年までに5千万円の貯金を蓄えたい…。それもあります。でも時間をかけてしっかり考えれば、ほとんどの人が「あれをやりたい」「こうありたい」という何かを持っているはずです。
ただ、つい、「また今度」「そのうち」「時間が出来たら」「今の仕事が落ち着いたら」と、考えることを後回しになりやすい。