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見えてきた「令和」決定までのドタバタ劇~安倍首相の本命元号を潰した皇室=世に倦む日日

本命案が潰れた理由を推測するのは簡単

簡単に推理すれば、「安久」とか「安永」とか「栄安」が本命だった可能性が高い。正月以降、マスコミとネットでは「安」入り元号を下馬評で推す声が充満し、予想ランキング上位などと既成事実化(空気固め)する動きがもっぱらだった。

本命が何だったのかを探るのは難しいが、なぜ本命が潰れたのかを推測するのは易しい。それは、誰なら安倍晋三氏の本命案を潰すことができるかを考えれば、たちどころに解答が出る。

安倍晋三氏がどうしてもこれにしたいと欲望する新元号を、それはだめだと阻止できるのは皇室(東宮)しかない

他にはいない。想起するのは、政府が3月29日にマスコミに流した元号選定の方針で、そこで、「取り沙汰されている『安久』などの案について、政府関係者は『俗用の一種に当たるので、なるべく避ける』」という情報が出たことだ。リークのレベルだが、ここで「安」入り元号がボツになったことが伝えられた。

この時点で「令和」が決まっていた。3月29日は安倍晋三氏が皇居に参内し、さらに皇太子と面会した日だ。

時系列を追って推理すると、2月22日に皇居と東宮を訪れた際、安倍晋三氏は意中の「安」入り元号案を提示、世間では人気が高いなどと売り込み、問題がなければこれで決めさせていただきたいなどと図々しく迫ったのだろう。

その後、皇室(東宮)側から不可の意向が届き、3月中旬になって安倍晋三氏が本命を断念、中西進氏の万葉集案なら皇室(東宮)も了承してくれるだろうと妥協し、中西進氏に泣きついたという経緯が推察される。安倍晋三氏にとっても妥協案だが、皇室(東宮)にとっても妥協だった。おそらく皇室(東宮)は、オーソドックスな漢籍出典方式での選定を希望していたに違いない。「安」の字など論外で、国書出典に固執する右翼方式も迷惑だっただろう。

「中西進氏への本命委嘱」が皇室の対抗手段だった?

突飛な想像だが、中西進氏への本命委嘱そのものが、両陛下からの対案であり推挙だった可能性も考えられる。何となれば、中西進氏は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」の賛同者だからだ。

いずれにせよ、中西進氏が正式に委嘱を受けたのは3月中旬であり、辛辣な皮肉が含意されているとしか思えない「令和」が提案され、時間切れで安倍晋三氏が採用して4月1日を迎えた。3月14日に依頼を受け、中西進氏が「令和」を返したのが3月20日前後だろう。田崎史郎氏の話と辻褄が合う。

2月以前の段階で中西進氏がその他大勢の考案者候補に含まれていたのは確かで、「令和」以外にも漢籍由来の万葉集出典案をいくつか提案していたのかもしれない。

3月中旬という納期ギリギリの時点で本命案の委嘱依頼が来たとき、中西進氏は全てを察知し、あるいは両陛下の側近(三谷太一郎氏とか)から事情を聞き、知識人らしく、皮肉を込めてブラックユーモアを返したのだろう。「梅花の宴」の序文は王羲之の「蘭亭序」をエミュレーションであり、字句は張衡の『帰田賦』を踏んだフレーズだった。さらに『帰田賦』には時代背景があり、政治への痛烈な批判が表現されていた。

Next: 「今回の元号選定は明らかに政局であり、歴史に残る1つの重要な政治戦」

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