今週18・19の両日、日銀は政策決定会合を開催します。日銀内部には物価高が長引いていることから利上げが必要との意見が強まってきています。ところが、日銀執行部は今回の会合でもまた利上げを見送ると見られています。日銀は否定しますが、物価高に対する日銀の対応は「ビハインド・ザ・カーブ(後手に回った)」との認識が内外に広がっています。
それだけでなく、アベノミクス以来続く日銀による大規模緩和の継続は、日本経済をむしろ衰退させています。日本経済にインフレマインドを醸成してしまっただけでなく、円安で容易に利益を上げられる環境を続けている中で、日本企業がぬるま湯の中で競争力を低下させ、購買力の低下した円が国民生活を圧迫し、日本経済を衰退させています。日銀の責任は重大です。(『 マンさんの経済あらかると マンさんの経済あらかると 』斎藤満)
※有料メルマガ『マンさんの経済あらかると』2025年9月17日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。
日銀の独立性を奪ったアベノミクス
日銀がこれまで常に政治の言いなりだったわけではありません。内外の政治圧力の下で日本はバブルを経験し、その崩壊で大きな負担を強いられた反省から、日銀法を改正し、政治からの独立と政策の透明性をうたった新日銀法が1997年に公布され,翌年98年に施行されました。
ところがその後また1ドル80円割れの円高が進み、産業界やその支援を受ける政府から日銀に対して円高を何とかしろという圧力が高まりました。特に、第二次安倍政権は円高デフレからの脱却を掲げて、いわゆる「アベノミクス」を提示、黒田日銀総裁とのコンビで異次元緩和を続けました。
この時点で黒田日銀総裁を指名したことも含めて、安倍政権によって金融政策はほぼ掌握され、政策金利をゼロの限界を突破すべく、「非伝統的な手段」であるマイナス金利や大規模な量的緩和まで行うことになりました。日銀内部にはこれら「非伝統的手段」を用いた大規模緩和には反対論もありましたが、政府主導でこの大規模緩和が実施されました。
これに海外の投資マネーが飛びつき、日本株は短期間に2倍になり、海外投資家が同時に為替市場で円先物を売ったことから、株高円安が進みました。バブル崩壊から20年余り低迷していた日本の株式市場がにわかに活気づき、企業も円安で利益を大幅に拡大したことから、市場にはアベノミクスを礼賛する声が高まりました。以来、ポスト安倍政権下でも、日銀に大規模緩和を求める政治圧力が続いています。
国民の利益より企業利益を重視
アベノミクスのもとでの株高が円安と同時に進行したことから、市場は円安が株高をもたらすと理解するようになり、政治も円安が産業界に大きな利益になったことから、以来ずっと円安を是とする金融緩和を続けさせました。日銀もかつて円高時に産業界から「日銀は我々を殺す気か」と怒られたことがトラウマになっています。
このため、円安に対して国民からコスト高への不満が強まる中でも、産業界の利益や市場が歓迎する円安株高を目指す政策がとられ続けました。最初のうちは海外旅行で円の価値が下がったことの不満はあっても、日本の物価自体はまだ落ち着いていたために、この円安政策に大きな不満は出ませんでした。
ところが、2020年のコロナ過が世界に大きな衝撃を与え、世界中でコロナ対策としての大規模な財政支援政策、大規模金融緩和がなされると、世界は一気に物価高に変わりました。特に欧米でこれが先行し、ピーク時には10%近い高いインフレ率に直面、2022年からは欧米で急激な利上げによる金融引き締めへと転換しました。
日本でも海外資源高で物価が上がり始め、2022年度には消費者物価が3%の上昇を見せるようになりました。ところが、日銀はこれを海外からの輸入インフレで一過性のものと、無視しました。コロナ過で産業界や市場が落ち込んだことを重視し、物価高に直面する国民には目が向きませんでした。欧米が利上げに出る中で日本が緩和を続けたために、円安がさらに進み、物価高を助長しました。
コロナが落ち着いて産業界は一段落し、業績も市場も急回復を見せます。その一方で輸入物価が落ち着いて以降も日本のCPIは高い上昇が続き、日銀の「一時的」との認識が間違いだったことがはっきりしました。ところが、日銀はそれでも物価高に苦しむ国民ではなく、企業のために円安支援を続けています。日銀は「物価の番人」を放棄し、産業界に使える中銀になり下がりました。






