【承】石油ショックから抜け出した日本と「双子の赤字」で苦しむ米国
1979年の石油ショックによって、再び世界経済は不況に突入してきます。その不況から抜け出すために日本は大規模な財政出動を行い、世界に先駆けて不況から脱出します。
一方、なかなか不況から脱出できない米国は1980年代に入ると、「物価が上昇するのに賃金がまったく上がらない」というスタグフレーションに陥りました。
米FRBは急激なインフレを押さえ込むため、1979年には9%だった政策金利を翌年の1980年に一気に13%まで引き上げました。その後もインフレ退治のために、FRBは金利を15%まで引き上げます。
<FRB 政策金利(1974年~1986年)>
その結果、世界中のお金が「ドル」に向かいます。1年で10%以上の金利を得られるドルが人気化して、相対的に円の人気が下がります。
1981年1月、米国の大統領に就任したロナルド・レーガンは、このスタグフレーションから脱出するためにレーガノミクスを推し進めます。
<レーガノミクスとは?>
- 社会保障支出と軍事支出の拡大により、経済を発展させ、「強いアメリカ」を復活させる
- 減税により、労働意欲の向上と貯蓄の増加を促し投資を促進する
- 規制を緩和し投資を促進する
- 金融政策によりマネーサプライの伸びを抑制し、「通貨高」を誘導してインフレ率を低下させる
1980年代前半、米国はドル高のために輸出競争力が落ちてきて、双子の赤字(貿易赤字&財政赤字)に苦しむようになってきます。
米国で売られていた日本の自動車が急に安くなり、飛ぶように売れていきました。自動車産業が盛んなデトロイト市民は日本車を叩き壊して輸入急増に抗議しました。
<米国の双子の赤字>
貿易赤字(対日本):(1980年)104億ドルの赤字 →(1985年)435億ドルの赤字
財政赤字:(1980年)740億ドルの赤字 →(1985年)2120億ドルの赤字
1980年から1985年までの5年間で貿易赤字額(対日本)が4倍に増えて、米国政府の財政赤字も2.8倍に膨れ上がりました。
米国はなんとかしてこの双子の赤字を解消しようとしました。自国だけの力ではどうしようもなかったので、国際協調を呼びかけます。