今回は「日本のバブル発生と崩壊」について解説していきます。歴史は面白いもので、現在の出来事はすべて過去の出来事と繋がっています。日本経済が1980年後半にバブルが生じて、その後、崩壊してしまったのは、米国や世界経済の情勢と大いに連動しています。
地政学的には米国の力が強いので、日本の金融政策は米国の政策に左右されてきた面があります。1987年2月22日に先進国7カ国で交わされた「ルーブル合意」では、国際的にドル安とマルク安を止めるために、各国の中央銀行は協調すると約束しました。
この1987年の時点で、日本経済はバブルになっていました。本来、日銀は自国経済を優先して、速やかに金利を引き上げるべきでした。しかし、経済には政治も関係しており、そこには国と国の力関係が作用してきます。
ルーブル合意ではドイツと違って日本は米国の指示に従いましたが、これはバブル経済に拍車をかける、決定的な誤りでした。ドイツは歴史的に「デフレよりもインフレの方が怖い」という事実を経験として知っていたため、ルーブル合意を実質的に破棄しました。
1980年代後半に起きた日本のバブル発生と崩壊の過程は、「インフレが起きている時に日銀が利上げできないとどうなるか?」ということを如実に表しています。
現在、日銀は「異次元緩和政策」を継続せざるを得ない状況に追いやられており、金利を引き上げることができなくなっています。中央銀行はあくまで、自国の通貨価値を守ることを念頭に独立して政策を実施することが大切です。(『ウォーレン・バフェットに学ぶ!1分でわかる株式投資~雪ダルマ式に資産が増える52の教え~』東条雅彦)
日本は今も闇の中。「起承転結」でわかるバブル発生と崩壊の歴史
1989年12月29日、日経平均株価が3万8,915円をつけた
1989年12月29日、日経平均株価が3万8,915円をつけました。この時がまさにバブルのピークでした。
その後、日本経済は「失われた10年」「失われた20年」「失われた25年」と、ゴールの見えない暗闇に突入していきます。感覚が麻痺してわからなくなっている人もいるかもしれませんが、日本経済は今もこの暗闇の中にいます。
<日経平均株価 1985年1月1日~2000年1月1日>
1989年の翌年の1990年10月1日には、日経平均株価は一時2万円割れを記録しています。たった9ヵ月あまりで、半値近くまで暴落してしまったのです。
日本株の大暴落は1987年10月19日、ニューヨークダウがたった1日で22.6%も暴落したブラックマンデーとはまったく様相が違っています。ニューヨークダウは、ブラックマンデーの約2年半後の1989年10月には値を戻しています。日経平均株価はもうかれこれ27年が経過しているのに、なかなか当時の高値を更新できずにいます。それは、1980年代後半に生じたバブルがあまりにも強大だったためです。
一体、どういう経緯で強大なバブルが生じてしまったのか?
歴史の点と点を線で結んでいくと、まるで起承転結のストーリーを見るかのように、過去の事実と未来の事実はしっかりと繋がっていることがわかると思います。
【起】1970年代に起きた2度の石油ショック
1980年代後半に起きた日本のバブル崩壊のことを理解するには、一旦、時計の針を1970年代に戻す必要があります。
今から半世紀前の1974年、第一次石油ショックによって突如、世界中で物価の上昇が発生し、不況に見舞われました。
1973年10月16日、OPEC(石油輸出機構)が原油価格を70%も引き上げることを決定しました。背景にあったのは、1973年10月6日から始まった第4次中東戦争です。戦争によって安定的な原油の供給が難しくなりました。
日本では物価が一気に20%も上昇して、紙供給が困難になるという噂が広まって、トイレットペーパーを買うために長蛇の列ができていました(※これはあくまで噂が広まって起きた騒動である点には留意願います)。
この世界的な不況を脱出するために、日米独の3ヵ国が協調して大規模な財政出動を行って、世界経済を回復させようとしました。
しかし、その5年後の1979年、第二次石油ショックにより、再び、世界経済は不況に突入していきます。
石油の価格は中東の政情に大きく作用されてしまいます。原油価格の推移を確認すると、100年近く続いた安値が1970年代に破られたことがわかります。