fbpx

アフガン速攻制圧を成功させたタリバン支持者組織「スリーパー・セル」とは何か?日本で報道されぬタリバンの怒りと目指す政治=高島康司

アフガニスタン・イスラム首長国

では「タリバン」は何を目指しているのか?

それははっきりしていて、タリバン自らが明確に主張している。「アフガニスタン・イスラム首長国」の建国である。

これは、どのような国家なのだろか?イメージがしにくい。しかし、これがどのような国家なのか、そのヒントはアフガニスタンの過去の歴史のなかにある。

長い間アフガニスタンは独立国であったが、19世紀にはイギリスの保護国となった。しかし、1926年、イギリスの支配から独立し、「アフガニスタン王国」となり「ザーヒル・シャー」が、かつての王位を継承した。そして1963年になると、「ザーヒル・シャー」は、立憲君主制を導入して、民主化路線を推進し、日本やイギリス、ソ連などからの資本の導入や輸入品の導入を推進し、それなりの経済成長を達成した。

このときの統治形態だが、アフガニスタンの各地域は、その地域を支配する「パシュトゥン人」「タジク人」「ハザラ人」「ウズベク人」などに、幅広い自治権を与えた連邦国家のようなものであった。地域の政治は、各民族の部族に委ねられていた。それは、イスラム法に基づく伝統的な統治であった。

しかし、1973年にクーデターが起こり、王政が廃止されて共和制になり、さらに1978年には、人民民主党による社会主義革命が起こり、社会主義政権になった。国名を「アフガニスタン民主共和国」に変更した。

社会主義革命の背景になったのは、近代的な教育を受けた「カブール大学」のエリートや、都市の専門職層など、部族を主体にした伝統的なイスラムの統治への強い反発を持つ層であった。

こうした近代主義者から見ると、アフガニスタンの近代化を遅らせ、発展を阻害しているのが、いまだに遅れたイスラムを信じる部族社会の統治であった。

アフガニスタンを近代化して発展させるためには、部族社会の統治をイスラムもろとも破棄しなければならない。そのような信念に基づき、各地域の民族と部族は、自治権を剥奪され、社会主義政権の中央集権的な統治にしたがうことが要求された。

以下の映像は、社会主義政権下の近代的なカブールの光景だ。いまとはあまりに異なる。ぜひ見てほしい。

当然、これは大変な反発を引き起こした。アフガニスタン全土で、イスラムの秩序を守れとの声があがり、イスラム戦士、「ムジャーヒディーン」が蜂起し、政情は不安定化した。

その後、1979年になると、社会主義政権を支援するためにソビエト軍が介入し、「アフガニスタン紛争」が始まった。アメリカはソビエトを弱体化させるため、「ムジャーヒディーン」を軍事的、財政的に支援した。映画、「ランボー2」では「ムジャーヒディーン」を英雄化している。

1989年にソビエト軍が撤退し「アフガニスタン紛争」は終結した。しかしその後、異なる民族間の覇権争いから内戦が勃発し、混乱状態となった。その後、1996年になると、タリバンが内戦を制し、首都カブールを占拠して「アフガニスタン・イスラム首長国」を建国した。下記のような強権的な統治を行った。

1)イスラム法の「シャリア」の厳格な適用
2)女性の抑圧、
3)あからさまな暴力
4)「パシュトゥン人」の優遇

また「タリバン」は、莫大な資金と引き換えに、国際的テロ組織、「アルカイダ」に本拠地を提供し、「オサマ・ビン・ラディン」が911同時多発テロを引き起こした。これ以降の歴史はすでに周知だろう。

Next: 中国との密約はあるか?タリバンが国際的な承認を望むワケ

1 2 3 4
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー