fbpx

なぜTikTokだけが目の敵にされるのか?最先端フィルタリング能力を否定する米国議会の傲慢=牧野武文

TikTokを起業した張一鳴はどんな人物か

では、中国の抖音は、このような不適切コンテンツの対応はどのようにしているのでしょうか。実はバイトダンスは創業当初に不適切コンテンツにより、アプリの配信停止処分を受けるという事態を起こしています。これにより、バイトダンスはUGC(User Generated Contents)を扱うことの難しさを理解し、ニュースというPGC(Professional Generated Contents)を扱うニュースキュレーションサービス「今日頭条」がヒットをして急成長をします。

今回は、バイトダンスの創業者、張一鳴(ジャン・イーミン)の軌跡をたどりながら、このUGCとPGC、そして不適切コンテンツの問題についてご紹介します。

何度聞いても信じられない気持ちになるのが、TikTokを開発したバイトダンスの創業は2012年3月で、まだ創業11年の若い会社であるということです。それでいて、バイトダンス生態圏のアクティブユーザー数は世界で20億人を超え、中国ではもちろん、海外でも大きな影響力をもつメディアに成長をしました。

しかも、創業者の張一鳴は40歳という若さであり、すでに昨年引退をしてしまいました。バイトダンス世界では、40歳はすでに老害になっているからという理由です。

張一鳴は、検索アリゴリズムに取り憑かれた人でした。人は何かを決定する時に、実は瞬時に結論を下している。しかし、その結論を受け入れる勇気がないために、迷っているふりをするだけで、本当は結論がわかっている。だとしたら、迷っている時間というのは無駄ではないのか。合理的な決断アルゴリズムをもてば、人生の多くの時間を有効に使うことができる。そういう考え方をする人です。

張一鳴という人は、感情に起伏があることも好きではないようです。誰でも嫌なことがあって落ち込んで、くよくよしてしまうことはあります。張一鳴はそれが好きではないようです。落ち込まないためにはどうするかというと、嬉しいことがあった時にも、喜びを先送りして喜びすぎないことだと言います。自分の感情の起伏を一定範囲に抑え、常に平常心でいられる状態が理想なのだと言います。張一鳴は言います。「私は機械の心を持ちたい」。

大学もアルゴリズムで選択した

張一鳴は、1983年4月1日に、福建省龍岩市で生まれました。後で登場しますが、フードデリバリー企業「美団」(メイトワン)の創業者の王興(ワン・シン)も同じ龍岩市の出身で、張一鳴は「兄貴」と呼び、慕っている存在です。

母は看護師をしており、父は龍岩市の科学技術委員会のメンバーで、その後、東莞市に電子製品の工場を設立しました。裕福というまでではないにしても、経済的には余裕のある家庭に生まれました。父親を通じてテクノロジーに親しみ、小中学校では読書が好きな少年だったと言います。

成績は上位の方でしたが、トップクラスというわけではありませんでした。大学の進学時期を迎えて、漠然と生物工学を学び、生物の教師にでもなろうと考えたそうです。では、どこの大学に進学をするのか。普通は自分が学びたい分野で面白い研究をしている大学を選んだり、就職先を考えて有利になる大学を選びます。

張一鳴は大学選びをアルゴリズムに任せました。まず、自分が行きたい大学の4つの条件を書き出しました。

1)実家から遠く、親と離れて暮らせる大学

2)海に近く、海鮮料理がおいしい場所

3)冬には雪が降るロマンチックな場所

4)ガールフレンドをつくりたいので、女子学生比率が平均以上の大学

この条件に従って、自分の成績で進学可能な211の大学をスコア化しました。そして、天津市の南開大学が浮かび上がってきたのです。

理系を目指すのであれば、中国では清華大学や北京大学、上海交通大学、南京大学あたりがトップクラスであり、南開大学はその下のポジションの大学です。しかし、張一鳴は躊躇をしませんでした。アルゴリズムにより選ばれたのだから、絶対に正解のはずだからです。

しかし、共通試験である高考を受けてみると、生物系に進学するのは成績的に難しく、次に好きだったソフトウェア工学を専攻することにしました。

張一鳴が南開大学に入って最初にやったことは、特技を活かして恋人を見つけることでした。ソフトウェア工学系にも女子学生はたくさんいましたが、彼女たちはプログラミングに関しては男子学生と変わらない能力を発揮しましたが、ソフトウェアの設定がおかしくなったり、ハードウェア的な故障が起きると途方に暮れてしまう人が多いのです。

そこで、張一鳴はコンピューターの修理が得意だと主張して、女子学生のソフトウェアやパソコンを修理して回りました。そうして、女子学生と親しくなり、現在の妻と出会いました。

さらに、もう一人大きな出会いがありました。学生寮でルームメイトの梁汝波です。一緒にプログラミングをするだけでなく、卓球やバドミントンの娯楽も楽しみました。この梁汝波は後にバイトダンスの共同創業者となります。

Next: マイクロソフトで組織作りを学ぶ

1 2 3 4 5 6
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー