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なぜTikTokだけが目の敵にされるのか?最先端フィルタリング能力を否定する米国議会の傲慢=牧野武文

スタートアップ入社「なんでもやる」男

2005年に大学を卒業した張一鳴はあるスタートアップ企業に入社をします。企業向けの人事管理ソフトを開発している企業でした。大学の先輩から誘われて、面白そうだと思ったからだという理由です。しかし、このスタートアップは失敗をしました。

そこで、2006年2月に、オンライン旅行サービス「酷訊」(クーシュン)に入社をし、旅行商品の検索機能の開発チームに加わりました。この酷訊には、優れたエンジニアが集まっていました。清華大学、北京大学、スタンフォード大学などの出身者が同僚にいたのです。

張一鳴はここで「なんでもやる」という働き方をしました。入社してすぐ、勝手に居残りをして、過去のソースコードをすべて読んでしまったと言います。なぜなら、ソースコードを読むのは面白く、プロダクトをつくるのに必要だからという理由です。さらに、エンジニアとは関係のない企画会議、営業会議にも首を突っ込みました。営業職について顧客営業に同行をしたこともあります。プロダクトをつくるのに必要だからという理由でです。つまり、この頃から、開発者視点ではなく、利用者視点で開発をしていたことがわかります。

このような姿勢が評価され、入社1年後には約40名のチームを率いるリーダーに選ばれることになります。

張一鳴が目指したのは、アルゴリズムによる自動化でした。例えば、仕事とは関係がありませんが、自動化スクリプトを昼休みの間につくってしまったという伝説があります。

当時、列車のチケットはオンラインで買う仕組みは整ってなく、駅に行って買うしかありませんでした。しかし、駅では長い行列に並ばなければなりません。そこで、賢い人たちが裏技として利用していたのが、旅行社や個人が淘宝網(タオバオ)で転売をするチケットでした。都合により使わなくなったチケットをタオバオで転売をしていたのです。これであれば、宅配をしてもらえるので、行列に並ばなくて済みます。

しかし、問題は、いつ出品されるのかわからないということでした。しかも、出品されればすぐに売れてしまいます。そのため、タオバオを開いて、何度も検索して、出品されていないかどうかをチェックし続けなければならないのです。そこで、張一鳴は昼休みの1時間を使って、簡単なスクリプトを書き、タオバオを検索して、チケットの出品を見つけたらすぐに携帯電話にプッシュ通知を送るようにしました。

仕組みとしては難しいものではないものの、張一鳴は酷訊時代に自分がやりたいことは何なのかを見つけたようです。

マイクロソフトで組織作りを学ぶ

酷訊のようなテクノロジー志向の企業の最大の弱点は組織体制です。さまざまな動きがあり、創業者が辞職する事態になり、酷訊は一気に崩壊する方向に進んでいきます。2008年、張一鳴は酷訊を離職し、マイクロソフトに入社をします。張一鳴としては初めての大企業での経験になります。

給料も申し分がなく、残業もありません。福利厚生もしっかりしていて、社員食堂では無料でそこらの食堂よりも美味しいものが食べられます。経済的にも余裕ができた張一鳴はこの時、北京にマンションを買います。住む目的もありますが、投資をして、創業資金を稼ぐためです。

マイクロソフトの待遇には満足をしていたものの、仕事は暇で面白くなかったと言います。さらに大企業の特徴として、社内政治に時間を割かなければならないのも張一鳴を困らせました。

酷訊時代に、エンジニアとは関係のない仕事まで、プロダクトに関係があると思えばやることにして、リーダーとなりプロダクトを開発できるようになりました。張一鳴は、プロダクトが開発できるのだから、同じように何でもやるというやり方で会社も開発できるのでないかと考えるようになりました。マイクロソフト時代に、創業をする意思を固めたようです。

北京で買ったマンションも、主目的は転売をして創業資金を捻出することが目的ですから、アルゴリズムで選びました。将来の鉄道計画、地域の発展速度などを変数として、自動的に値上がりしそうな物件を抽出する検索アルゴリズムを書き、それで選んだのです。実際、購入したマンションはわずか1年で2倍の価格になり、バイトダンスを創業する時は、このマンションを売却して創業資金を捻出しました。

しかし、すぐに起業するという機会は巡ってきません。その時、張一鳴が兄貴と呼ぶ同郷の王興が、SNS「飯否」(ファンフォウ)を起業していました。張一鳴はマイクロソフトを離職して、この飯否に合流することになります。しかし、軌道に乗ったところで、ライバルのSNSに勝つことは難しいと判断され、サービスは閉鎖されてしまいます。

不動産サービスを創業

張一鳴は、仕事がなくなってしまいました。そこに声をかけたのが、投資会社「サスケハナ」(SIG)の投資部長、王瓊でした。王瓊は、酷訊の投資担当で、その頃から、張一鳴のエンジニアとしてだけでなく、プロダクトマネージャーとしての力量に目をつけていました。一方で、酷訊は旅行サービスだけでなく、不動産紹介サービスにも進出すべきだと考えていましたが、その不動産検索システムを開発できる人間がいません。

そこで、仕事がなくて暇をしていた張一鳴に声をかけ、北京でマンションを買った時にアルゴリズムを使った話を聞くとうってつけの人材だと感じたのです。こうして、酷訊からの委託を受けて、2009年に不動産サービスを提供する「九九房」(ジウジウファン)が創業します。これが張一鳴の最初の創業ということになります。

九九房はすぐに150万人の利用者を獲得し、不動産サービスランキングの1位となります。大成功でした。

張一鳴は、ビジネスとしては九九房に満足をしていましたが、プロダクトとしては満足をしていませんでした。それは九九房で不動産を賃貸、購入した人は、次に九九房を利用するのは早くても1年後、普通はもう使わなくなってしまうのです。リピーターというものが生まれづらい分野でした。

これは張一鳴にとって、面白くないことでした。商品側のデータから検索アルゴリズムを考えるだけでなく、ユーザーの購入履歴などの行動データも使って、検索精度をあげる挑戦をしたいのですが、九九房ではそれが難しい。みんなが毎日使ってくれる情報とは何だろうか。そのような領域で検索アルゴリズムを使えば、情報側と利用者側のデータの両方から検索精度を高めていける。

Next: エンターテイメントで成功する!バイトダンスの誕生

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