政治家のみならず、エコノミストの間にも「賃上げで成長への好循環を」という考えが広がっています。偏った所得分配が経済の効率を阻害することはありますが、そもそも賃上げを進め、価格転嫁を進めれば成長が高まる、という考えは勘違いです。果実を労働者により多く配分すれば企業の取り分が減るだけで、成長は高まりません。
自民党議員の中には、中小企業の賃上げが進むよう、価格転嫁を法制化することまで求める声が上がっていますが、日本を中国並みの統制経済にしたいのでしょうか。賃金問題における「誤解」を解かねばなりません。(『 マンさんの経済あらかると マンさんの経済あらかると 』斎藤満)
※有料メルマガ『マンさんの経済あらかると』2024年3月6日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。
バランスの良い分配には意味がある
一般に、所得分配は成長理論の要素にはなっていません。つまり、賃上げなど所得分配の変更が成長率に影響することはありません。
ただし、一番効率的に資金を使う部門に資金をより多く配分することが効率的な成長につながります。
従って偏った所得分配が経済効率を損ない、成長を阻害している場合は、これを是正することである程度成長が回復する可能性はあります。
例えば、極端に労働分配率が低くなり、低所得の家計が消費を制約される一方、収益を拡大した企業が投資を拡大せずに「内部留保」という貯蓄に資金をため込む場合、それだけ需要が実現せずに成長が低下します。
従って賃上げで企業から労働者に再配分することで、全体の支出が増える余地はあります。しかし、それもバランスが回復するまでの一時的なものです。
賃上げは収益悪化か物価高か
極端な歪みが是正されたところでの賃上げは、企業にとって人件費コストの上昇になり、その分収益が悪化します。
それを企業が価格転嫁して収益を取り戻すと、今度は価格上昇、つまりインフレが進んで賃上げで増えたはずの労働者の賃金が物価高でまた実質減少します。
中小企業の場合は価格転嫁が難しいので賃上げに消極的なところが少なくありません。無理に賃上げをすれば、中小企業の利益が減ります。
そこで冒頭に紹介した自民党の山本達也議員のように、中小企業が賃上げ分を価格転嫁できるよう、法制化すべき、との発想になります。しかし、価格転嫁を強制すれば、それだけインフレ率が高まって実質賃金がまた減るので、これは解決策になりません。
むしろ、賃上げが価格転嫁で次の物価高を招き、その物価高をカバーするために次なる賃上げが必要になる、という賃金・物価の「悪循環」に陥ります。これは石油危機後の日本でも見られました。
賃金物価の好循環と日銀は言いますが、この好循環を経験したことは日本ではかつてなく、世界でもまれなケースです。だからこそFRBもECBも賃金物価の悪循環を回避しようとして引き締めで需要抑制を図りました。
日本だけ「好循環」を期待するわけにはいきません。同様に賃金を上げれば成長が高まる、というのも「捕らぬ狸の皮算用」です。