第一に、今回取り沙汰されている基準は「日常的に生涯」吸い続ける大気についての基準であり、地下室内の空気に当てはめて騒ぎ立てるのはナンセンス極まりない話である。
第二に、「換気」すれば一気に問題は解決するであろう問題である。
第三に、今回の地下室内位の空気を、「仮に、一生涯吸い続けた」としても、「体重50kgの妊婦においてすら、母体のみならず胎児にも影響がでない」と言われるほどに安全な水準のものである。
以上の三つが客観的事実なのです。
筆者は、これら三つの論点はどれ一つとっても、それだけで「大騒ぎする必要性がない」ことを示す論拠であると思われますが、今回はこの三つが「同時」に成立しているのですから、技術的に判断すれば、騒ぎ立てる必要など「全く無い」状況なのではないかと考えられるのです。
ただし…「一旦、何かのリスクが気になりだしたら、ちょっとしたことで大騒ぎしてしまう」という事態は、何も今回の豊洲の一件だけではありません。そういうことがくり返されていることは、「リスク心理学」という学問の中でよく知られた客観的事実です。
つまり、存在論的な不安にさいなまれている現代人は、ちょっとしたきっかけがあれば過剰にリスクに怯え、絶対に達成できない「ゼロリスク」を求めてしまう――というきわめて不条理で愚かな存在なのです。
参考書籍:『リスクの社会心理学 –人間の理解と信頼の構築に向けて』編:中谷内 一也 / 刊:有斐閣
残念ながら、今回の豊洲の件は、まさにそういう人間の愚かさを証明する典型例となってしまっているように思えます。そんな愚かさを乗り越えるには、自らが如何に愚かな存在となり得るのかを知ること。これから当方も是非、そんな「無知の知(自らの愚かさの自覚)」を忘れないようにしていきたいと思います。
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