fbpx

資本主義の養分ごとき「個人投資家」は、息を殺しながらひっそり勝て=鈴木傾城

負けが確実な相場に「参加しない」こと

もし自分が弱者であると気付いたら、正攻法で戦うのは愚かであるし危険なことでもある。

弱肉強食の資本主義の中で弱者であると認識ができているのであれば、ゲリラにならなければならない。つまり、圧倒的な強者から見ると縁起の悪い存在にならなければならない。

株式市場で「相場を張って戦う」という正攻法は弱者には勝ち目がない。相場は読めない上に、金融の圧倒的強者が虎視眈々と弱者の金を狙っているからだ。

どうすればいいのか。別に戦わなくてもいい。つまり、株式市場が正常に動いている時は何もせずに逃げ回っていればいい。相場を張らない。読まない。参加もしない。

別に個人投資家は決算があるわけでもないし、何かしないといけないわけでもない。長時間、何もしなくても誰からも責められないのだ。

圧倒的強者の持っている優良資産を剥ぎ取って去る

そうやっていつまでも待って何をするのかというと、相場が大暴落して混乱していたり、相場が死んで見捨てられている機会を黙って待つ

相場が大暴落していくとき、莫大な資金にレバレッジをかけて相場に君臨していた巨大な投資銀行・ヘッジファンドたちはみんな傷ついて討ち死にする。資金が必要になった彼らは、超優良企業の株式をも売るしかない。

金融市場の下落局面で「売りが売りを呼ぶ」のは、レバレッジを賭けた分の損失を工面するために持ち株を売らされる羽目になるからである。

そうやって市場に君臨していた強者が弱り切って相場が死ぬと、その時にゲリラは姿を見せればいい。何をするのか。弱り切って身動きできなくなった彼らに近づき、彼らの持っている優良資産を剥ぎ取って去る。

要するに、意味もなく安くなった優良企業の株式を拾う

戦うのではない。彼らが弱るのを待ち、彼らが相場の下落で大怪我をして身動きができない時に、彼らのポケットを漁って欲しいものを手に入れて消える。

弱者が圧倒的強者と向かい合う時は、相手が死にかけた時である。だからゲリラは圧倒的強者が死にかけている「大暴落」や「大混乱」を好むのである。

Next: 正面から強者と戦う生き方もある。負けても賞賛されるかもしれないが…

1 2 3
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー