3:各国民には固有の「恐怖のDNA」が存在する
我が国で原油価格と言えば第1次オイルショックを連想する。高騰に狼狽し、18年続いた高度成長がゼロ成長(当時は「安定成長」と呼んだ)に急転直下した73年秋の第1次オイルショックである。当時10ドルになってあわてたのだが、その前は2ドルが当たり前だったからウソのような話だ。一挙に5倍になったのだ。
これは第4次中東戦争で産油国が原油を武器として使った結果だが、10ドルで青くなったと言っても、2ドルが10ドルになったのから一挙に5倍である。都会の主婦たちはトイレットペーパーが生産停止になってなくなるという話を信じてスーパーマーケットの前に長蛇の列を為した。我が国には、このようなDNAがある。
国柄というものは、或る恐怖のDNAを引き継いでいる。
例えばドイツはハイパー・インフレである。それがナチス党の悪夢を生んだからだ。
アメリカは失業である。世界恐慌のころ、スーツ姿の失業者が街にごろごろしている写真を見るであろう。あれである。だから今でも雇用統計の発表にウォール街は右往左往するのだ。日本の中央銀行の使命はただ一つ、物価の安定(=日銀発行の通貨価値の安定確保)であるが、FRBの使命は二つあり、それは物価の安定と雇用の安定である。
そして、わが国の恐怖のDNAは「資源」である。これこそ第二次世界大戦への淵源になったからである。
第1次オイルショックの頃、長谷川慶太郎氏はただ一人、「原油価格はまた下がる。原油とて商品相場だ。上がったものは下がる」と断言し見事に的中して名を成し、これを以て彼は世に出た。
彼は自らを「本当は軍事評論家なのだ」と言い、その方面から的中させた。
余談だが、その後、湾岸戦争もイラク攻撃も、攻撃開始と戦闘終了の日付まで彼は正確に当てた。後から聞くと彼はアラビア石油の現場から天気図をFAXで送ってもらっていて砂嵐の始まりを読めたから、そこから逆算して日取りを推理した、タナゴコロを指すようなものだ、と嘯(うそぶ)いた。彼ほど多くを予言し多くを的中させ多くを外した人はない。
第1次オイルショックの際、田中角栄内閣は中東へ行って日本に原油を売って下さいと外交した、これにイスラエルがカチンと来て、「油乞い外交」と揶揄した。イスラエルの後見人を任じているアメリカはこの時の不快さを忘れず、その1~2年後には僅か5億円の使途不明金を田中に渡したとロッキード社のコーチャン副社長に証言させて、田中角栄氏を葬った(アメリカでの証言を日本の法廷で証拠とすることは法理上できなかったが、検事や判事の心証は大いにクロに傾いたであろうと推測できる)。
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