合法ゆえに多くの人が深みに落ちる
真夜中の世界、すなわちアンダーグラウンドは、さながら「依存症」の見本市のように、あらゆるタイプの依存症の人が集まってくる。それは、アンダーグラウンドが「欲望」を提供する世界でもあるからだ。
しかし、中でもアルコール依存は目立つ。アルコールは社会的にも容認されているから、自制がかかりにくいのである。「合法で、みんな飲んでいる、飲まないのは付き合いが悪い」と思うと飲むことにも拍車がかかる。
やがて、アルコールから抜けられなくなって「ワナに落ちた」ことに気付いても、そこで毅然と決別することはできない。それが習慣になってしまっているからだ。結局、どんどん深みに落ちていくことになる。
世の中にはあらゆる依存症があるが、アルコール依存症の人たちは人口が多いし、非常に目立つ。アルコールは医学的に見ると「ドラッグ」なのだが、それがドラッグとは意識されないで飲まれ続ける。
そして、社会の許容の中で依存者が量産される。
人間関係も信用も金も、すべてを捨てても止めない
彼らはもはやそれなしでいられなくなっているので、自分の意思で飲酒を止めることはできない。この状態を「酒に飲まれる」と人々は言う。
酒に飲まれると、それが自分の身体を蝕んでいくのか分かっていても止めようと思わない。思っても止められない。その結果、最後には致命的な事件や事故を起こしたり、深刻な病気になったりして人生を破綻させる。
アルコール依存が深まれば深まるほど、日常生活がルーズになってしまうので仕事ができなくなったり、経済的に困窮したりするケースも増える。どん底《ボトム》に落ちている人たちの多くは、アルコール依存でもある。
山谷・寿町・西成の日本を代表するドヤ街のどこに行っても繁盛しているのは「飲み屋」である。昼間から居酒屋が開いていて多くの労働者が酒を食らっている。金がなくて食べ物を食べなければならないのに酒を飲む。
酔って道ばたに転がっている人もいる。それはドヤ街の日常的な光景でもある。先日、私が大阪西成区のドヤ街に久しぶりに訪れた時も、酔って道ばたに座り込んでいる人がいた。
「変わってないな……」と私は思ったものだった。
いったんアルコールに飲まれると「飲む」ことが優先されるので、人間関係も信用も金も、すべて吹き飛んでいく。
その結果、自分を支えてくれていた多くの人を失ってしまい孤独に落ちやすくなる。