100年に1度の危機に、東京五輪を開催している場合か?
記者会見で五輪開催の可否について突っ込んだ質問を受けた菅総理は、本質をはぐらかすばかりで、何を言っているのかよくわからない状況に陥っています。
「やれることはみんなやる」と言いますが、「できることが何もないので、何もしません」とも聴こえる始末。
ワクチン接種だけにまい進してもらっても、コロナ対策ではないという疑問がよぎるばかりです。
まともな判断ができる人間ならば、100年に1度のこの極めて特異なパンデミック発生時期になぜ五輪を強硬開催しなくてはならないのか、まったく理解できないのは当たり前の話。
国民のかなりの部分がこうした率直な疑問を抱えながら、2か月を切った五輪開催の是非に大きな疑問を抱いたまま6月に突入してしまいました。
選手が感染しても、IOCは責任を取らない
しかし、IOCバッハ会長はとにかく開催は揺るがないことを強調しています。
さらに、「五輪実施には犠牲がともなう」などと、日本の国民を愚弄するようなことも口走っており、まさに拝金主義を全面に出して五輪強硬を強く示唆しています。
もちろんこうした発言の背景には、日本政府が実施を強く懇願しているからという事情もあるようです。
しかし、残念ながらIOCには、事態の重大さを正確に認識する力は残されていないようです。
挙句の果てに足もとでは、参加選手が感染してもIOCに責任を問わないという文書にサインすることを強要し、コロナに感染しても自己責任を強調しているのですから、呆れること至極の状況です。
自らの判断を非常に重視する世界のトップアスリートたちが、本当に来日してまともな試合を見せてくれるのかどうか。それ自体が怪しい雰囲気になってきているのは間違いありません。
最古参のIOC委員であるパウンド氏などは、言うに事欠いてアルマゲドン(人類滅亡)が起きない限り大会は進むといった驚愕の発言をしており、五輪開催が開催国の主権を完全に無視した特別なものであることを強く示唆する状況となっています。
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