「今日が人生最後の日だったら、これをやりたいか?」
俣野:その後、総合病院をお辞めになって、現在は再生医療クリニックの開業準備中とお聞きしました。なぜ今回、畑違いの分野を選ばれたのでしょうか。
鈴木:日々、目の前で弱っていく患者様を前にして、少しでも改善するよう、使える医学は何でも使うし、何とか心穏やかに最期を迎えられるようにと気を配るのですが、初めてお会いしたその日に余命宣告をするような立場では、できることは限られます。
ただでさえ勤務医の日常は目まぐるしく、やってくる患者様の診察以外に、多くの業務をこなさなければなりません。残念ながら、「1人1人の患者様とじっくり向き合って」というわけにはいかないのが実情です。
日常的に人間の死に接している医師の多くは、人が苦しんで死ぬことを、仕方がないこととして特段、反応しなくなっていきます。もちろん心が冷たくなったということではなく、そうしないとやっていけないからです。
確かに、人が死ぬのは避けようがないことです。しかし私は、患者様が医師のところに来るよりもずっと前の段階で、自分がいずれ死ぬことに想いを巡らせていたなら、と思わずにはいられません。「元気な時から死について考え、日々を楽しく生き切っていたら、最期はもっと違う結果になっていたかもしれない」と。
俣野:あらかじめ心の準備をしておけば、いざ自分の死に直面した時に取り乱すこともないかもしれない、ということですね。
その考え方は、ビジネスにおいても重要です。
有名な事例だと、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏が毎朝、鏡の中の自分に向かって「もし今日が人生最後の日だったら、私は今日やることをやりたいだろうか?」と問い続けた結果、あのような偉業を成し遂げたことが知られています。
鈴木:人の死に接する機会が少ない現代人は、思った以上に人がどうやって死んでいくのかを知りません。だから、元気なうちは「今日と同じ明日がまたやってくる」と思ってしまうのも、致し方ないことではあります。
だから、在宅医療の先生などで、「人は死ぬ時、どうなるのか?」というワークショップを行っている人もいます。私が参加したのは、とあるセミナーのワークショップでしたが、なかなか印象深いものがありました。
本当に大事なことに気づける「一度、死んでみる」というワークショップ
俣野:先生も「一度、死んでみる」というワークショップに参加されたのですね。いかがでしたか。
鈴木:まず、受講生は自分にとって大事なもの、かけがえのないものを別々の紙に書き出し、お互い、それにまつわるストーリーを話します。私は、大好きな車や海外旅行、妻、2人の子どもの名前などを書きました。
次に、講師が受講生に対して余命宣告を行い、亡くなるまでのストーリーを話しながら、今、書き出した大事なものをストーリーの途中で1枚1枚、捨てさせるのです。
1枚、また1枚と捨てていくと、だんだん本当に大事なものしか残らなくなります。やがて私の手元には、妻と2人の子供の名前を書いた紙しかなくなり、「その中から1枚捨ててください」と言われた時に、ただのワークなのに、心がギュッと締め付けられるような気がしました。
実は医療の現場では、これと似たようなシチュエーションに出会うことがあります。
「この患者様は、あと数日も持たない」となった時に、「でも、この方の次男は海外で仕事をしているから、今から飛行機を取っても、おそらく間に合わない」「もうこの方は、次男には二度と会えない」というような場面に、幾度となく遭遇してきました。
人は、最期はすべてを置いて去らなければならない。
ワークで最後の1枚を捨てた時、私は、あたかも何もないだだっ広い平原に1人、ポツンと立っているような気がしました。
臨床で強く感じていたことを、ワークの中に発見した私は、人生のもっと早い段階で、人にアプローチできる方法がないかと考えるようになったのです。