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「ポケモンGO」と「国土学」=内閣官房参与 藤井聡

ポケモンGOの「画期性」が何かと言えば、当たり前ですが、これまで乗り越え難かった「現実とバーチャル現実の区別」が「溶解」し、バーチャル空間でなく現実空間の中でゲームができるようになった、という点にあります。

これまでのゲームでは「ゲーマー」達はわざわざ「現実空間」から「バーチャル空間」の中に入り込んでゲームをしなければならなかったところ、ポケモンGOの世界では、もうその必要が無く、「現実空間」の中に居ながらにして、ゲーム出来るようになった――という次第です。

この「画期性」が、全世界で大変な「人気」をよんでいるわけですが、もう一面において、その「画期性」が、ポケモンGO批判を惹起しています。

そもそも、バーチャル空間には、私たちの「視点」は存在しますが「身体」はありません。しかし、現実空間には当然「身体」が存在しています。

そして、「身体」とは「肉の塊」なわけですから、好き勝手に動き回ると、自他の生命に危機が及ぶことになります。

今、ポケモンGO批判においては、この点がしばしば取りざたされています。その典型的批判は、「歩きスマホは危ない」というやつですね。

しかし――「身体」に加えてもう一つ、バーチャル空間には無いけれども、この現実空間にはあるもの、があります。

それは、

「歴史的地理空間」

です。

「バーチャル空間」に存在するのは単なる「地図情報」にしかすぎません。ポケモンGOのプレーヤー達にしてみれば、それぞれの地点は「モンスターの登場地点」、という「意味」しかありません。もちろん、アイテムの登場地点だったり、ジムだったり、という「意味」もあるでしょうが、それらはすべて「バーチャル空間」の中で定義づけられた「意味」です。

しかし、「歴史的地理空間」には、それぞれの地に、ゲームの世界でプログラマー/ゲーム管理者達によって意味が付与されるはるか以前、数十年、数百年、場合によって数千年も昔から、「固有」の「意味」が付与され続けてきています。

もちろんそんな「意味」は、私たち人間が「勝手に」付与したものにしかすぎません。したがって、ポケモンGOが歴史的地理空間に意味をつけたからと言って何が問題なのだ――と感ずる方も多かろうと思います。

しかし、問題はそんなに単純ではありません。

そもそも、それぞれの地に「意味づけ」をするにあたっては、これまでの歴史の中で人々は徹底的な「慎重さ」を保ち続けてきたのです。場合によっては、「その地」に対して、あるいはその地に意味づけしてきた「先人たち」に対して大きな「敬意」を保ち、時に「畏怖の念」すら持ってその地の「意味」を大切にしてきました。

神社や墓地等がその典型です。

そうした空間は「聖域」とされ、特別な「意味」が社会的歴史的付与され続けてきたのです。

もちろん、そうした「聖域」は物理的に言うなら、単なる特定の地点にしか過ぎません。しかし、それらは特定の共同体(あるいは国家や民族)にとっては、「汚されてはならないもの」として神聖なる意味が付与されてきたわけです。

無論、影でその地について悪口をいったり、冒涜する人も多数おられたでしょうが、「公明正大な批判」や「タテマエでの批判」は徹底的に避けられ、それによってその聖域が聖域として保持され続けてきたのです。

そして、拙著「国土学」でも論じたのですが、そんな「聖域」があることが、この物理的な「陸の塊」を、歴史的・伝統的・政治的・社会的存在としての

「国土」

に昇華せしめているのです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4779305004

国土は国民にとって単なる「住処」であると同時に「生家」であり「故郷」「古里」でもあります。そしてそれは、宗教の種別や有無にかかわらず、「その地に根を張る人々」(国民)全員にとって、何らかの意味において「聖なる地」なのです。

にも関わらずポケモンGOでは、それぞれの地の歴史を度外視し、単なる「モンスター出現地点」なる勝手な意味を、数百万人、数千万人という大量のゲーマー達の間で、あっという間に「共有化」されしてしまうのです。

つまり、ポケモンGOは、プログラマーが適当にそれぞれの地に付与した意味を、「公共化」してしまうのです。

これは、「聖域」を根底から溶解せしめる「本質的脅威」です(!)。

Next: 私たちが守ってきた「地理空間の歴史的意味」が溶けていく

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