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テクノロジー4.0が生む「新しい格差」誰が得して誰が損するのか?=大前研一

「テクノロジー4.0」で生まれる「新たな格差」

<途上国はテクノロジーが浸透しやすい>

途上国においては、家族の誰かが海外に出稼ぎに行き、収入の一部を母国で暮らす家族に送金して生計を立てるケースもあります。銀行のネットワークが発達していない地域では送金もままなりませんが、アフリカではスマホを使って送金するサービスが利用されています

送金する際には、スマホでプリペイドカードを買い、カード使用権を家族に送ります。家族はそれを換金したり、買い物に使ったりできるという仕組みです。日本ではまだそういったシステムはなく、もはやアフリカの方が発達している感もあります。

このように、テクノロジー4.0の世界というのは、エスタブリッシュメント(確立された体制や制度)のない所の方が自由に競争でき、自由にサービスや商品などを提供できるという側面があります。エスタブリッシュメントの妨害にもあいませんし、エスタブリッシュメントがない国の人の方が、デジタルコンチネントに割と簡単に踏み出せるのです。

古いやり方に慣れていると、なかなか新しい仕組みには移行しにくいのに対し、生まれたときから電話といえばスマホで、固定電話など見たことがないという人の方が、新しいものに簡単になじむというわけです。

例えばインドで講演していると、度々電気が切れます。インドでは、ブラウンアウト(電圧低下)、ブラックアウト(停電)は日常茶飯事。電話も15回ぐらいかけ直さないと相手に通じません。講演で皮肉まじりにそう話すと、電話会社の総裁がその中にいて、「昔は15回でしたが、今は4回ぐらいで通じるようになりました」と自慢していました。しかしスマホではそんな心配もありませんし、相手が電話に出なければメールを送ればいいし、留守番電話にメッセージを残しておいてもいい。

インドの電話会社は世界で一番遅れていると思っていましたが、それが解消されるよりも早く、そんなものがいらない世界になってしまったのです。

国の発想が古いとテクノロジーが阻害される

私はビジネス・ブレークスルー大学というオンラインの学校を運営しており、世界中に受講生がいますが、ネット上で講義を提供しているため、教室に来ずとも授業は受けられます。

既存の大学のようにキャンパスがあって先生がいるというのではなく、スタジオでコンテンツを作って世界中にいる受講生に投げかけ、受講生たちはディスカッションをして学ぶ、というスタイルです。教授とティーチングアシスタントは、クラスのディスカッションを見ながら指導します。1週間のうちに何コマも行うので、受講生は参加可能な時間帯の授業を選んで受ければよく、全世界どこにいても学ぶことができるのです。

学生の中にはスロべニアのリュブリャナという所で寿司屋をやりながら4年制大学を5年で卒業した人もいますし、ある女子学生のように、どこでも授業が受けられるというので約30カ国を旅しながら学び、卒業した人もいます。

300年もの歴史があって、校舎には蔦が這っているような大学でなくても、それこそザンビアにいても授業を受けられるのです。そういった感覚に、日本人の多くはまだ追いついていないでしょう。

とくに日本の場合には文部科学省という「20世紀の遺物」が存在し、なかなか変化が起きません。ですが、基本的にテクノロジー4.0には、いつどこにいても自分が情報発信者になり、受信者になり、付加価値を高められるし、学習をしたり、事業を生み出すこともできる、という魅力があります。

学校に行くという物理的な動作なしでも授業が受けられるなど、どこにいてもいいし、時間もシフトできるということなのです。先生である私も、どこにいても「休講」しないで済みます。

日本の学生は不幸にして通学時間が長く、往復1時間半ほどかけて授業を受けるのが平均的な姿です。勉強する時間も圧迫されるでしょう。

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