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全担保を賭けて仕手株をカラ売り~投機家Kさんの運命は?

「大冒険のカラ売りをしましょう!」顧客Kさんとの運命的な出会い

1970(昭和45)年になり、私は野村の紀州和歌山支店に赴任する。ちょうど史上最長の「いざなぎ景気」(※6)が終焉を迎え、買い飽き気分と相場停滞で商内不調の頃だ。

そこで私は、市内でも著名な或る顧客(Kさんとしよう)と運命的な出会いをすることになった。

国木田独歩の短編に『忘れ得ぬ人々」と言うのがある。私がそのタイトルでものを書けと言われたら先ず最初に書くべきは紀州和歌山のKさんをおいて他にない。

Kさんは、長身痩躯の好男子でダンディで、野村の店頭に来られた時には社員の多数が注目するほどの男前だった。「桜の花の散る頃、Kさんは、爽やかで華やかな生涯を終えて彼岸に渡って61歳で時間の流れを止めた」と先回書いたが、私の脳裡に在るKさんの姿は年老いて老醜をさらす姿ではなく、当時のままの男前の凛々しいKさんだ。

もしKさんが61歳の若さで亡くならず、老人になってよぼよぼしたKさんになっても、Kさんの本質は永遠に青春だったに違いない。

私たちは常に何物かと闘いながら年老いたと思う。へミングウェイ『老人と海』の老漁師サンチャゴのように、またはニコライ・バイコフ『偉大なる王(ワン)』の老猟師トン・リのように。或いは「Boys, be ambitious like this old man(少年たちよ、この老人のように、つまり俺のように野心的であれ)」と言って北大を去ったクラーク先生のように。

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昭和45年春、和歌山市の郊外から離れた下津(※7)の夜陰の海辺。沖合に点々と灯る漁灯を見ながら、Kさんは或る悩みを涙ながらに切々と私に打ち明けた。

私は「そんな悩みがいっぺんに吹き飛んでしまうような冒険の旅に出ましょう。丁度、ここは嵐の夜を突いて紀伊国屋文左衛門(※8)が死に装束をまとって蜜柑船を出帆させた海岸です。これも何かの縁です。大冒険のカラ売りをしましょう」と言って三光汽船(※9)のカラ売りを持ちかけた。

丁度、紀伊国屋文左衛門の記念石碑が建っていた、まさしくその下だった。

三光汽船株は業績も良くないのに地相場(※10)60~70円くらいから100円に暴騰した後だった。そこを全担保を賭けてカラ売りした。株価は案に相違して120円になった。だが私にもKさんにも、まだ余裕があった。

Next: 「この不見識め!必ず暴落するぞ」我らの信念を嗤い暴騰した三光汽船

※6 いざなぎ景気
1965年11月~1970年7月まで57か月間に及んだ高度経済成長期の好景気の通称

※7 下津
和歌山県北西部、現・海南市下津町

※8 紀伊国屋文左衛門
「ミカン船」伝説で有名な元禄期の豪商。ある年、嵐のため江戸への航路が絶たれ、ミカン価格が生産地の紀州で暴落、消費地の江戸で高騰した。これに目をつけた紀伊国屋文左衛門は大量のミカンを仕入れ、命がけの航海を経て高値で売りさばくことに成功、巨万の富を築いたとされる

※9 三光汽船
証券コード9112(当時)。オイルショック後の海運不況から経営に行き詰まり、本体で約5,000億円、グループ全体で1兆円超の巨額負債を抱えた。1985年8月13日に会社更生法を申請した

※10 地相場
業績や財務などを含め、ある銘柄にとって妥当な、居心地の良い株価水準

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