当時の大蔵省が実施したのが、突然の「預金封鎖」と「新札切り替え」
敗戦後、マッカーサーが厚木に降り立って、GHQによる統制が始まったのはご存知のとおりです。
当時の大蔵省は、独自判断に基づく国家財政の立て直しを決意し、史上最悪ともいうべき高率の財産税の導入を決定し、当時の動産、不動産、現預金をターゲットとして最大90%という事実上の没収を意味するような課税を断行することになります。
また、戦争中に当時の政府が命令もしくは契約により支払いを約束した保証や戦争保険金を示す戦時保証債務は完全に切り捨てられることとなり、戦時補償特別税として100%を賦課することで支払いを全面的に中止することとなっています。
さらに敗戦翌年の1946年2月に突如として断行されたのが、「預金封鎖」と「新円切り替え」となります。
当時、この預金封鎖を大蔵大臣として実施したのが、誰あろう新1万円札のキャラクターである渋沢栄一の孫でのちの日銀総裁となる渋沢敬三であったわけで、妙な繋がりが示現することになります。なにかの因縁でないことを祈りたいところですが…。
預金封鎖と新円切り替えの公表は「実施の前日」という恐ろしさ
ウルトラ税率の財産税の課税にあたって実施されたのが、この突然の預金封鎖と新円切り替えです。スムーズに財産税を履行して徴税を進めるために、現預金の封鎖と新円への切り替えが必要であったことがわかります。
早い話が、全国民を対象とする大規模な財産差し押さえの合法的な実施で「金融緊急措置令」という名称の預金封鎖宣言とともに、「臨時財産調査令」が同時交付されて強引に実施されています。
当時は戦後まもなくでまともなメディアもなく、命だけは助かった国民は名目上インフレを抑制するためなどという嘘の大義名分を掲げられて、預金の没収を余儀なくされました。
結果的には世帯主が300円、世帯員1名につき月額100円の引き出しだけが認められ、新円の発行とともに残りの預金はまんまと没収される羽目に陥ることになります。
この話は当欄では書ききれないほど様々な事態を呼び起こすことになります。簡潔に結論をいえば、中間層を中心とした当時の世帯からことごとく預金を合法的に見えるカタチで没収したことで、政府は国内債券の償還を強烈に進め、海外の債務は52年の新しい条約で帳消しにすることで、デフォルトから立ち直るという荒業に成功することになります。