病気になって動けなくても、さらに寿命は延びていく
その期間は短ければ短ければいいと普通は思うのだが、人間の人生はそんな都合良くできていないので、たとえば60代でもう身体がボロボロになって以後は介護に依存して生きることになる人もいる。
糖尿病や認知症や心臓疾患や癌は誰もなりたいと思ってなるわけではない。なりたくなくても「なってしまう」ものなのだ。それが50代や60代で発症したとしても、それでその人を責めることは誰にもできない。それは自己責任ではない。
糖尿病は生活習慣病なので自己責任と考える人もいるのだが、実は糖尿病も貧困が原因で起きているものであるという認識も少しずつ広がってきている。
問題は、どんなに早く健康寿命を失ったとしても、現代の医学は「病気の進行を抑えながら生かし続ける」ことができるので、そこからもさらに寿命が延びていくことである。
中には延々と介護を受けたまま食べて寝るだけで、何のために生きているのか分からないような人もいる。その度合いがどうであれ健康寿命を失って生きていると、誰でもそのような局面になる。
時には、「長生きできることは幸せだ」と思えないこともあるはずだ。長生きすることによって家族にも迷惑をかけると深刻に捉え、精神的にも追い込まれて「早く死にたい」と考える人もいる。
長生きするほど老後資金は足りなくなる
折しも年金制度は徐々に危うくなってきている。日本は高齢者が増えると同時に子供が減っているので、賦課方式の年金は現役世代に耐えられないほど重いものになりつつある。
そこで日本政府は「老後は2,000万円の貯金が必要」と言い出したのだが、ほとんどの世帯はそんなに持っていないし、貯めることもできないので「どういうことなのだ」と高齢層は政府を激しく批判した。
選挙で票を入れるのは若年層ではなく高齢層なので、高齢層の怒りに敏感な政府はすぐに「2,000万円貯めろ」を引っ込めたのだが、実際問題として「年金では食べていけない」というのは誰もが知っていることだ。
老後のための貯金は、長生きすればするほど足りなくなっていくのだが、人間は長生き「してしまう」時代になったのである。