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「政治家は麻雀の名手だらけ」平成の半ば、政治記者は賭け麻雀でお小遣いをもらっていた=真殿達

有力政治家と付き合うにはマージャン必須?

在日外国人記者にも猛者がいた。数年前に亡くなった名物記者サミュエル(サム)・ジェメソン(元LAタイムズ東京支局長)の事務所に初めてあいさつに行った時のことだった。

午後というのに眠そうな顔で出てきて、いきなり流ちょうな日本語で「すいません。昨夜政治家と徹マン打ってたんで眠くて、ぼうっとしています」といった。

田中角栄以下多くの総理大臣との単独インタービューに成功していたジェメソンは、多数の有力政治家と個人的に付き合っていた。

シンシナチ郊外の高級住宅街に住む大学院の学友の両親のブリッジ仲間の1人が、ジェメソンの母堂だった。母堂から「日本に帰ったら必ず私が元気にしているとサムのところに行って伝えてね」と頼まれていたのだ。

世界的経済学者も神田のパチンコ店へ

もうそんな制度はなくなったのかもしれないが、30年以上前には、日本銀行には世界的な経済学者を半年日本に招待して、研究活動の傍ら国内の有識者との交友をプロモートするプログラムがあった。

その1人がたまたま旧知の人物だった。日本に来ることが決まるとすぐに電話をよこしたので、困ったことがあれば何でもしてやるから安心しろ、日銀は格調の高い世界だから羽目を外したくなったら俺が塩梅してやるから何でもいえ、というような馬鹿話をして、ガハハハと笑い合って電話を切った。彼は間もなく家族を連れてやってきた。

昼飯を共にしたり、居酒屋に飲みいったり、家族を連れて我が家に来たり、若い日々にかつての交友が復活した。

ある時、折り入って相談があるといってきた。社宅から日銀本店までの道すがら、神田駅から日銀本店までの短い距離に限っても、パチンコ屋を何件も通り過ぎる。「滞在中に一度ぜひ行ってみたい。だが日銀の同僚や役員にそんなことは恥ずかしくていえない。お前、何とかしてくれないか」という。

日銀マンとはすれ違いそうもないウィークデイの11時少し前に日銀に迎えに行き、神田駅近くのまだすいているパチンコホールに入った。3,000円を手交し、1,000円分の玉を買い、やり方を教え、すったらあとの2,000円を使い、それも無くなったら近くで打っているので俺のところに来い、と言って私もファイトに及んだ。

無欲とは恐ろしいもので最初の300円で買った玉の一発が当たり「777」が並ぶと、後は処理しきれない勢いで玉が出始めた。店員が大きな箱を持ってきて玉を取り出している間にもジャラジャラ出続けていた。視線を感じて振り返るとあっという間に大枚3,000円をすった件の博士が戻っていて私の背中をじっと見ていた。

「お前、何時もやっているのか」「いや、もう十年以上パチンコホールには来たことがない」。若い時に友達に誘われて入ったのが最後だった。

「ところで、この玉を持っていくと好きなお菓子やおもちゃに換えてくれるから、ちょっとしたショッピングが楽しめるぞ」と伝えた。そして、景品棚は文字通りただのショーウィンドウだけでカウンターのお姉さんは何も言わずに玉の数を見て、ライターのようなものをいくつかくれ、店の外のボックスへ行けと指示した。1万4〜5,000円になったと記憶する。

「777」の賞金は、当時の日本橋の高級店の松花堂弁当2人前でもおつりがきて、千疋屋でお茶も飲めた。

Next: パチンコの興奮冷めやらぬ大学者は詰めに詰めた。矢継ぎ早に発せられた――

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