「会社は社員のものだ」と言う無邪気な人
今後、ROE経営が普通になることによって、今のサラリーマンの多くは使い捨ての「労働者」になる。労働者だから、出世もなく、年功序列もなく、福利厚生も、生活保障も削減されていく。
いまだにサラリーマンでいることにこだわる人もいるようだが、もう無駄だ。
サラリーマンという働き方に、未来を託すような要素はどこにもない。正社員も勝ち組ではない。給料も減らされる。使い物にならなくなると、リストラの対象になる。
「会社は社員のものか、株主のものか」という議論があったとき、日本では「会社は社員のもの」だと言う無邪気な人が多かった。
しかし、それが完全に間違いであることは、やっと誰もが気付いたようだ。サラリーマンが単なる使い捨ての労働者になりつつある今、誰が「会社は社員のもの」と言えるのだろう。
会社は明確に「株主のもの」
現実を見ると、会社は明確に「株主のもの」である。
株主が資金を出して会社を存続させている。株主が経営者に投資のリターン(利益)を生むように依頼し、経営者はそれに応えるために社員を雇い、社員は言われた通りに働く。
この一連の流れの中で、なぜ「会社は社員のもの」という発想が出てくるのか分からない。今まで日本人は終身雇用が保障されていたので、勘違いしてしまった部分もあったのだろう。
しかし、終身雇用どころか、リストラが当たり前になった時代では、もう長く働いた正社員でさえ「会社は社員のもの」と無邪気に思わなくなっている。
やっと、サラリーマンは自分の立場に目が覚めたと言うことができる。
能力主義はリストラのツールとして使われる?
ROE経営がこれからも進んで行くということは、ますます日本人の労働環境は不安定化していく。コロナ禍はそれを加速させていく。かろうじて維持されている終身雇用、年功序列というシステムは死ぬ。
労働者は使い捨てになり、正社員は年功序列ではなく能力主義で評価されることになる。
ところでこの能力主義だが、年功序列が残っている企業でこれが取り入れられると悲惨なツールになることが知られている。能力主義は、能力をある人間を抜擢するという目的ではなく、リストラのツールとして使われるようになるのである。
会社はコストを削減するために、要らない人間からクビにしたいと思っている。
そこで能力主義を利用する。要するに要らない人間を「能力が足りない」という理由付けで排除にするのだ。
会社が本人の適正でないところに無理やり回して「能力が足りない」と言ってクビにすることもできるようになる。死ぬほど働いても、売上に結びつかないとやはり「能力ゼロ」とみなされる。
成果が出たらどうなのか。それでも、他にもっと成果を出した人間がいると、やはり「能力ゼロ」と言われる。
つまり、会社がその気になったら、誰が何をやっても能力ゼロになる。それが能力主義の使われ方となる。