fbpx

中国ゼロコロナ抗議デモを扇動したのは米国?司令塔の存在と「第二の天安門」には発展しない理由=高島康司

1989年とは比較にならない監視技術

また現在の中国の監視技術は、天安門事件のあったIT導入以前の1989年当時とは比較にならない。

現在、中国の全土には2億台を越えるカメラがある。国内の治安当局は、ソーシャルメディアの記録と顔認識ビデオ映像を使用して抗議者を追跡し、必要とあれば尋問し、長期間にわたって綿密に彼らの行動を監視することができる。

抗議活動に一度参加すると、逮捕や監禁されなくても、行動は当局に筒抜けとなり、次回からは抗議活動に参加する前からマークされてしまう。おそらく当局が逮捕するのは、抗議活動のリーダー格の人々だけで、一般の参加者はマークするだけにとどめる可能性が高いとされている。

もちろんこのようなテクノロジーは、天安門事件当時の1989年には存在しなかった。その結果、抗議活動が起こる前に当局が活動を押さえ込むことは不可能なので、抗議者と警察や軍隊との激しい暴力の応酬になった。ところがいまは、抗議活動が大きくなって手がつけられなくなる前に、これを抑制してしまうことが可能だ。こうしたテクノロジーの違いを見ても、今回の抗議活動が天安門事件のように拡大するとは考えられない。

中央政府はすべての責任を地方に転嫁

ところで、中国の「ゼロコロナ政策」には、国民がすべての問題を中央政府の責任を問うことを難しくさせるちょっとしたからくりがある。日本から見ると政府が一元的にコロナの規制をすべて決定しているように見えるが、規制に関する具体的な内容の決定権はすべて地方の指導者に委ねられている。だから、同じ「ゼロコロナ政策」でも地方によって厳しさにばらつきがある。

地方に具体策決定させることは政府にとって都合がよい。政府は厳しい「ゼロコロナ政策」に対する国民の不満から距離を置くことができるからだ。政策決定は具体的な指示ではないことが多い。中央政府はシグナルを出すのだ。そのシグナルを読み取り、成功するか失敗するかは地方の指導者に委ねられている。だから地方の指導者は、こうしたメッセージを注意深く読み取る必要がある。

抗議行動前の中央政府からのシグナルは、曖昧で漠然としたものだった。最近、指導部から出された最も重要な指令は11月11日に出された。その内容は、一部の規制を緩和し、地方政府に対し、無差別なコロナ規制を行わないよう求めるものであった。その後、20項目の声明が発表され、ウイルスへの対処が詳細に述べられた。

しかし、中央政府はコロナの規制について具体的な指示を出していなかった。具体的な対応は各省庁に任され、政府の各省庁は、それぞれの地域の特徴と現実に従ってコロナの規制を実施するよう、地方の指導者に指示を下していたのである。中国の監視国家への懸念に反して、ウイルスを追跡するための標準的な規則は存在しない。それは市町村単位で決定される。

そのため、コロナの規制は非常にローカルなレベルでルールが実施され、解釈されるので、膨大な数の問題を引き起こしている。地方政府は、規制緩和と「ゼロコロナ」のどちらかの方針を選ばなければならないのだ。このようなトップダウンのあいまいな政策メッセージは、それぞれの地域で異なった対応を生み出す。これが地方でちぐはぐなコロナ規制の原因となっている。

このように、実際のコロナ対策を地方に決定させることは、中央政府にとって大きなメリットがある。それは、国民の怒りをすべて地方政府の責任に転嫁し、中央政府が怒りの対象になりにくいということである。中央政府は国民の怒りにこたえて、地方政府の幹部の責任を厳しく追求して罷免することで、中央政府の責任は回避できる。これがからくりである。

たしかに、中国国民の「ゼロコロナ政策」に対するストレスは非常に大きい。だが、そのストレスが向かう方向は実際に「ゼロコロナ政策」を実施している地方政府なのだ。

もちろん今回は、習近平体制打倒のスローガンも抗議者からはあった。これは異例である。しかし怒りの対象が政策の実施主体である地方政府に向かっている以上、習近平体制打倒のスローガンは少数にとどまるはずだ。それこそこうしたスローガンを発した抗議者や「白紙」を掲げた人々は、「全国解封戦時総指揮中心」の呼びかけに応じたか、またはこの組織がトレーニングした人々である可能性が高い。

Next: 年明けにもゼロコロナ政策の大幅緩和か?

1 2 3 4
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー