入れ違いで急成長した中国経済
これとは対照的に、中国経済は90年代以降成長ペースが高まり、90年代に2.9倍に、2000年代には10年で5倍に、2010年代でも2.46倍になっています。
米国経済に対する相対的な大きさも、90年の6.7%のあと、2000年には11.8%、2010年には40%、2020年には70%、そして昨年には80%にまで高まりました。
日本経済の対中国比は90年に7.7倍でしたが、2010年には逆転されて中国の95%に、昨年は中国の5分の1にまで低下しました。
経済大国から普通の国に
30年前には米国を脅かした「経済大国」日本は今や見る影もありません。
昨年のGDPは米国が25兆4,600億ドルに拡大する一方、日本は4兆3,000億ドルに縮小、2位の中国の20兆2,560億ドルからも大きく水をあけられました。
そして、すぐ後ろにドイツが迫り、世界3位の地位も怪しくなりました。日本の人口の約半分の欧州主要国と規模で変わらなくなります。
さらに1人当たりGDPでは21年ですでに世界27位で、UAE(アラブ首長国連邦)やアンドラの後塵を拝しています。すぐ後ろにはイタリア、韓国が迫っていて、昨年にはこれらに逆転されたと見られます。
日本は経済面でももはや「普通の国」になり下がりました。それどころか、このままでは後ろからくる「中堅国」にも次々に追い抜かれます。
これだけ経済が急速に衰退する国は珍しく、政府は事態を直視する必要があります。
2つの不幸な要因とは?アベノミクスが縮小への転機に
日本経済が90年以降衰退に向かうに至った裏には、2つの不幸な要因がありました。
1つは「出過ぎたくぎが打たれる」ことで、80年代に米国のトップの座を脅かす日本を、ドルの大幅切り下げでハンデを厳しくし、それを機に日銀の大規模緩和でバブルを醸成し、これが崩壊して90年代、2000年代は「資産デフレ」、バランスシート不況、金融危機へとつながり、失われた20年を余儀なくされたことです。
これで日本の成長モメンタムは失われ、成長がストップしました。それでも為替のハンデ切り上げに日本経済は必死に対応し、円高の中でドルベースのGDPは2012年に6兆2,000億ドル台まで高まりました。
そこに2つ目の不幸な要因となって登場したのがアベノミクスです。「3本の矢」政策と言いながら、実際には大規模金融緩和に依存し、成長戦略は実体のないもので、形の上だけ名目GDPを増やす統計処理(研究開発費や防衛装備品などを新たにGDPに計上してGDPを水増し)するに止まりました。
大規模緩和で円高を是正し、急速に円安が進行し、企業には「何もしなくて儲かる」環境を作りました。シングルハンデでは勝てないと言って、ハンデを36に切り下げたようなものです。さらに政府と親しくなれば、東京五輪や万博で仕事を回してもらえるお零れにもありつけます。10万円の給付金を配るのに、委託企業に1万8,000円の手数料を払う国です。
ハンデ36に甘えて練習をしなくなった日本は、結果的にハンデ36並みの実力に落ちてゆきました。日本のGDPは2012年の6兆2,720億ドルから2015年には4兆4,450億ドルに急縮小し、そのまま停滞を続けました。