最終手段の禁じ手、バイデンによる権力委譲の拒否
そして、次にあるのが最終手段としての禁じ手だ。これは、最もリスクが高く、最も物議を醸すものである。最初の3つは確立された憲法上の規範の範囲内で追求できるが、4つ目は一見したところ、その規範に違反しているように見える。
トランプ大統領就任の可能性に直面し、民主党はトランプへの権力移譲を拒否するようバイデン政権に促す可能性がある。このシナリオでは、バイデン大統領は辞任し、ハリス副大統領が大統領に就任する。意外にもこの措置を取る場合、憲法上の問題はないようなのだ。
そうなれば、ハリスは就任宣誓と「内外のあらゆる敵」から憲法を守るという公約を盾に、憲法を廃止する可能性がある人物への政権移譲を拒否しなければならないと宣言する。すでに一部の専門家は、状況がそれを必要とする場合、優れた政治家が考慮しなければならない選択肢となるとしている。
しかし、この最後の選択肢を行使することは、合衆国憲法に規定された選挙人制度と、トランプに投票した何百万人ものアメリカ国民を侮辱することになる。だが、この選択肢を支持する人々は、もしトランプのような憲法を無視し、独裁制に道を拓く人物が大統領選挙に当選した場合、現職の大統領には現行憲法を尊重し、各州の共和制を保証する義務があると主張している。
合衆国憲法の研究センターである「ナショナル・コンスティテューション・センター」は、憲法は「君主制、独裁制、貴族制、または恒久的な軍事支配による統治をいかなる州にも課すことを防ぐ」ことを義務づけていると説明している。これは、州における「君主制」、「独裁制」、「貴族制」、または「恒久的な軍事支配」を、多数決によって正当化することはできないということだ。そして、それが州に対して真実であるならば、連邦政府に対しても真実である。連邦政府自体が共和制の政府でなければ、この保障条項は意味を失う。
選挙による国民の投票を基本とする民主主義の制度には、民主的なプロセスによって、逆に民主主義を否定する独裁者を誕生させてしまう危険性を絶えずはらんでいる。例えば、1933年の総選挙の結果発足したナチスドイツのヒトラー政権などはその典型だ。だから、合衆国憲法には、民主主義を否定し独裁制を導入する人物が大統領選挙に勝利してしまった場合、これを阻止して共和制を守る義務が明記されているというのである。トランプが勝利してしまった場合、憲法のこの規定を適用し、バイデン政権はトランプへの権力の委譲を拒否するというのだ。
この決定は、やはり憲法によって発足が義務づけられている「憲法制定会議」が審査することになっている。「憲法制定会議」が権力の委譲の拒否が合法と判断された場合、ハリスが正式に大統領に就任することになる。
しかしこのとき、米軍は非常に難しい立場に置かれることになる。選挙で選ばれた大統領に従うべきなのか、それとも選挙の結果を独裁制への移行だとして、権力の委譲を拒否した政権にしたがうべきなのかという選択である。
2021年1月6日の連邦議会議事堂への乱入事件のとき、米統合参謀本部は、軍は憲法を支持し擁護するという軍の公約を再確認する声明を発表した。しかし現政権が、憲法の規定にしたがい当選した大統領に権力の委譲を拒否した場合は、軍はどちらにしたがうのだろうか?もしかしたら、軍の部隊によってしたがう側が分かれてくる可能性だってある。トランプにつく部隊と、ハリスにつく部隊である。
もし本当にこのような状況になると、国民は両方の陣営に分かれて激しく衝突することにもなりかねない。非常に危険である。これこそ、分断を越えて内乱にまで至る道ではないのだろうか?
10月4日、日本で公開になった『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を早速筆者も映画館に足を運び、見た。すでに内容は多くの記事や予告編などで知っていたものの、その衝撃は予想を越えるものだった。大統領選挙の対立をきっかけにして、分断したアメリカが内戦状態に突入するのではないかというシナリオは、これまで多く書かれてきた。それをテーマにした本も出版され、話題になっている。しかしそれらは、やはり活字を通して伝えられたイメージにしか過ぎなかったことが、「シビル・ウォーアメリカ最後の日」を見て分かった。
この映画はあまりにリアルである。臨場感のあふれる音響効果で、観客を戦場に引き込む迫力がある。まさに内戦を実体験できるような映画である。いまウクライナで戦われている戦場がアメリカにやってきたかのような感じだった。いまのアメリカの危うさを体感するには、絶好の映画である。
大統領選挙後にやってくる民主、共和両党の争いとそれがもたらす混乱は、この映画のような状況への第一歩になるのだろうか?
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