分析途上で「推察」したことを、結論で「断言」している
このレポートではまず、「人々が将来不安を抱えている」ということを思わせるアンケート結果と、35歳未満の世帯において消費性向が最近急激に下がっているというデータを示します。そしてこの消費性向が下がっているというデータを示した後に、両氏は次のように唐突に述べています。
将来の可処分所得の増加が期待しにくい中、若年世帯でも年金等の社会保障制度の持続性に対する疑念は広がっており、貯蓄性向を上昇(消費性向を低下)させているとみられる。
あくまでもこの文章は、この両氏が「年金等に疑念があるから、消費性向を低下させてるんだと思います」という「意見」を述べているものと解釈できます。「~みられる」というのは、論者が勝手にそう「みている」=「思っている」ということを意味する言葉だからです。それは断じて、分析の結果こういう因果関係が導出できたという論理的結論を述べているものではありません。
要するに両氏は、「若年世帯で消費性向が下がっているのは、年金等に持続性に疑念が原因なのだろう」と「推察」しているに過ぎないのです。
ところが、この推察文の次の頁の結論頁では、何の説明も成しにこの「推察」が、いきなり、次のような「断言」につなげられています――「弱い消費の第2原因は、『将来不安』である」。
レポートを何度も読み返しましたが、この「因果関係の断言」に繋がりうる分析結果は、上記の「推察」以外には見当たりません(国民が不安に思っているというデータは示されていますが、それは到底、因果関係の根拠にはなりません)。
つまり、この両氏は、「分析プロセスで推察したに過ぎぬこと」を「結論で断言」しているのです。
さらには、このレポートの冒頭に「要旨」として掲載されている、記者などがここだけ目にする可能性が高く、政治的影響力が最も大きいと短文にもまた、下記のように「断定」的に書かれてもいます。
経済の主役と言ってもよい消費はなぜ弱いのか。1つの理由は、賃金・所得の伸びがほとんど見られないことである。いま1つ「将来不安」の影響も大きい。とりわけ、年金・医療・介護など社会保障の将来への不安が年齢を問わず家計を委縮させている。
率直に申し上げまして、これは「公正な科学者の態度」からはかけ離れた態度と言わざるを得ないのではないかと、筆者には思えます。