お年玉の使い道を親が決めない
それは、「お年玉の使い道を親が制限しない」ということです。
つまりお年玉を何に使うかは子どもの判断に任せ、より満足度の高いお金の使い方を、本人の経験から学び取ってほしいということです。
それに、普段は目にしない大金を手にし、気が大きくなって散財する経験もまた教育効果があります。
小学校半ばくらいになれば、子どもは親に言われなくても、「あんなもの買うんじゃなかった」と後悔します。「あれを我慢しておけば、これが買えたのに」ということがわかります。そういった経験もまた、貴重なのではないでしょうか。
しかし中には、「お年玉はとりあえず貯金しなさい」と本人名義の預金口座に入れて使わせなかったり、親がいったん預かって管理するという家庭もあるようです。
それがいけないということではありません。親が子どもの性格や個性を見て、それが適切だという判断であれば、それもひとつのしつけだからです。
人は「失敗」から学ぶ
とはいえ、人がもっとも学ぶのは失敗した経験からです。うまくいっているときは、その理由を分析することなどないでしょう。
しかし失敗すれば、なぜ失敗したのか、次からはどうすべきか、子どもながらに考えるものです。
また、価値あるアウトプットは自分の血肉になったものからしか出てきません。たとえば誰かが書いた記事を編集するより、自分のリアル体験を書く方が、生々しく迫力があり、読む人の心を揺さぶります。
同様に、価値あるお金の使い方は、自分のリアルな経験からしか学べないのです。
「お金を雑に扱う」をやめる
おこづかいをどうするかとか、おこづかい帳を付けさせるかどうかなどを考える前に、親がやるべきことがあります。
それは、自身のお金の物理的な扱いを振り返り、他人から見て「スマート」に映るように軌道修正することです。
なぜなら、子は親のお金の扱い方、支払い方をよく見ていて、それを真似するようになるからです。
親がお金を大切に扱っていれば、子も同じようにするし、反対に雑に扱っていれば、やはり子もそうするようになります。
たとえばコンビニやファーストフード店での支払いのとき、お札を無造作に投げる人を見かけることがあります。
そういう人は他の所作も雑で、風貌からはガテン系だったり競馬新聞を小脇に抱えていたりするなど、決して儲かっているようには見えません。
また、高校生や大学生でもそういう人をたまに見かけることがありますが、やはり言葉遣いがヤンキーっぽく、品がないと映ります。