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ここがおかしい日本の教育。即戦力が欲しくて使い捨て人材を増やす愚かさ=午堂登紀雄

身につけるべきは「教養」

しかし、たとえば視野の拡大、思考の深化、全人格的な能力が向上すれば、時代がどのように変化しても対応し十分に乗り越えて行けるし、変化そのものを創り出す側に回ることさえできます。

人間が他の動物と違って親の庇護のもとにいる時間が長いのは、環境変化を乗り越えられる底力を、それこそ長い年月を使ってじっくりと培っているからだと言われることがあります。

そう考えれば、教育に求めるのはテストの点数やどこに進学したかということより、もっと根源的な思考力の獲得であり、それは目先ですぐ成果が出ない教育であるべきだということがわかります。

そのひとつが「教養」です。

たとえば樹齢数百年の巨大な神木を目の前にしたとき、受験勉強だけをしていたら「この木は〇〇という種類で〇〇のような気候条件があったためここまで育った」としか出てこないでしょう。

しかし教養が育っていれば、その大木がタネから芽を出し、様々な風雪や病害虫に耐えて育ち、人々から敬われるようになったという時間や空間を超えた文脈、そして原風景までに思いを馳せられる感性や想像力が発揮されます。

そうした感受性や応用力を持てば、自らの力で人生の展開を構築することができます。もちろん、より文化的で心豊かな人生にもなります。

親が「偏差値信仰」に陥ってはいけない

ガリ勉させて得た進学実績などほとんど価値はなく、ガリ勉しなくても東大に合格するような根本的な能力の獲得の方が重要です。

なぜなら、東大のようなトップ校ほど、深く考え、複雑な文脈を理解し、知識を横断的に統合する必要がある、思考力を問う試験だからです。海外の名門校はさらにその傾向が強いと言えます。

それはこれまでも繰り返し述べた通り、自由に発想し、知的好奇心を持って課題を発見し、クリエイティブな方法で探求・解決し、それを表現・実現する経験を積むことです。

特に、ことさら進学実績をアピールする学校は要注意です。ペーパーテストで良い点数を取ることしか頭にないからです。すると、それこそ18歳の春が能力のピークで、あとは下降するだけ、ということになりかねません。

だからこそ、親が偏差値信仰の強い学校の手先になってはいけない。ペーパーテスト「だけ」ができるよりも、むしろペーパーテスト「でも」高いパフォーマンスを上げられるよう、親は学校教育とはまた違った目線で、子どもの個性を伸ばす教育を意識する必要があります

Next: 子どもに必要なのは自由な時間。今後は「どう学ぶか」が問われる時代へ

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