「どう学ぶか」が問われる時代
社会に出て未知の問題や状況に直面したとき、それまで自分が学んできた知識やスキルをフル動員して統合・応用し、今まで使ったことのない方法を編み出して解決できるようになることが必要です。
なぜなら、子どもが成人する頃には世の中がどうなっていて、どんなスキルや知識が要求されるようになるかは、誰にもわからないからです。
しかし、そんな状況でも問題を解決し、価値を創造できる知的基盤があれば、どのような時代環境が来たとしても力強く生きていくことができます。
その際、何を勉強してきたかよりも、「どう」学んできたかが試されます。
もちろん、知識やスキルは問題解決の助けにはなりますが、環境が変われば陳腐化することもあるでしょう。それに、知識は必要に応じて適宜獲得することができます。
それなのに、知識の詰め込み一辺倒の学び方、テストで正答を出すだけの学び方しかしてこなかったら、得てきた知識やスキルを統合・応用し、未知の問題を解決する力は養われないでしょう。
そうならないためには、ひとつのテーマに対し、文系とか理系とか関係なく、分野横断的なアプローチで取り組む経験が必要です。
だからこそ、仮に周囲が反対しても、親は子が情熱を持って追いかけることを奨励し、子の探求心を応援する存在であり続けることです。
子どもには「ヒマな時間」が必要
私は我が子に、型にはまらない自由な環境で、自発的に興味を持ち、行動し、問題に直面し、独自の解決法を発見し、それによって自信をつけ、また挑戦しようとするループを経験させたいと思っています。
それには、何をしてもいい自由な時間が必要です。忙しいと、興味を追求する時間がとれないからです。
あるいはお稽古熱心で厳格な家庭や、カリキュラムが厳しい進学校のように、秩序を重んじれば、好奇心は抑圧されます。秩序の中で定められた道、定められた方法に満足させられてしまいます。
また、そういった環境では自分の意志が尊重されないため、興味を持ったことを追求する機会も少ないでしょう。
そのためにも、子どもにはある程度の自由時間、つまりヒマな時間が必要なのです。
好奇心を維持するために知識を蓄える
ただし、好奇心を持ち続けるためには、ある程度の知識のインプットが必要です。
創造性は空白から生まれるわけではありません。将棋でも膨大な譜面の記憶が重要になるように、情報を混ぜたり書き換えたり組み合わせたりするために、少しだけ知っていることが好奇心を刺激するのです。
誰でもまったく知らないことには興味を持てず、知り尽くしたことにも興味がわかないでしょう。ネットで検索できると言っても、グーグルは「何を検索すべきか」は教えてくれないですから。
そのため、親は子に積極的に知識を与える会話を増やし、図鑑など知識をインプットできる環境を与える必要があります。
それに、知識がなければ、背景情報を集めるのに必死で、内容をじっくり考える余力が生まれません。
しかし知識が豊富であれば、覚える作業に労力をかけることなく、考える作業により知力を割くことができます。