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劣等感を疑え。広告で人々のコンプレックスを煽りカネを稼ぐ企業たち=鈴木傾城

企業は私たちの劣等感を換金する

劣等感は、金儲けのために意識的に作り出されるのだ。逆に言えば、私たちは他人の金儲けのために劣等感を抱かされる社会に生きている。

私たちが何かに対して劣等感を持てば、その解決を謳う商品が売れるように仕組まれている。その人が本来は持たなくてもいい劣等感を持って精神的にボロボロになればなるほど、企業は儲かっていく。

そんな社会なのだから、広告を無防備に浴びるというのは非常に危険な行為でもある。今まで自分が意識もしなかったことに劣等感を持たされるのだから、これほど馬鹿馬鹿しいことはないはずだ。

こうした広告は、本来であれば大きな社会問題として捉えられるべきものでもある。人間を無用な劣等感の塊にするのだから、健全ではない。

しかし、もちろん広告の危険性は社会問題として深く追及されることは決してない。

誇大広告、あからさまなニセモノ広告については責任を追及されることはあっても、人間を巧みに劣等感のワナに落とす広告については完全に無視されるのが常だ。

広告を無防備に浴びるというのは非常に危険な行為

一度その人に植え付けた劣等感は、もしかしたら生涯に渡ってその人を苦しめるものになるかもしれない。

また、劣等感を広告によって強烈に刻み付けたゆえに、その人の実りある人生を萎縮させてしまうかもしれない。その人から生きる自信を奪うかもしれない。

コンプレックス商法のために仕掛けられる広告は、非常に悪質で危険極まりないのに、そうしたものが野放しにされて蔓延しているのが現代社会である。

他人の金儲けのために劣等感を抱かされるのは馬鹿馬鹿しいが、それを避けることができないのが現代社会だ。

Next: やがて劣等感の塊に。どうすれば広告の洗脳から解放されるのか?

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