アルゴリズム取引は「見かけ上のランダム」に打ち勝つ?
見かけ上のランダムについては、未来に、とてつもない認識能力と計算能力を兼ね備えた人工知能が生まれれば、ある程度はその範囲が狭まることになるでしょう。
市場の大口注文の動向を瞬時に察知して短期的な相場変動を先回りして捉えるような、すでに実用化されている超高速アルゴリズム・トレードなどは、こうした見かけ上のランダムさを少しだけ克服する試みといえるかもしれません。
でも、現時点で想定できる範囲でいえば、近未来においても見かけ上のランダムの大半はやはり予測不能なままでしょうし、真のランダムについては、どれだけ技術が進化したとしても、決して予測可能にはなりえません。
だから、将来のすべてを予測しようなどというのは絶対に不可能であり、そもそもが間違った発想であるということになるのです。
ランダム性にまつわるもっと厄介な問題
さて、ランダムという概念は実はよくわからないのだという話に加えて、ランダム性にまつわるさらに厄介な問題があります。
それは、ランダムな現象を見せられても、人はそれをランダムだとは思わないということです。
100匹のダーツ投げのうまいサルにファンドを運用させれば、何匹かのサルはとても素晴らしい成績を上げるはずということでした。それはもちろん偶然によるもののはずですが、実際にそれを目のあたりにすると、人は必ず何とも言えない神秘的な気持ちを、多少なりとも抱くはずです。
サルならまだしも、これが高学歴で、人もうらやむ高年収を誇るファンドマネジャーならなおさらです。
100人ファンドマネジャーがいれば、偶然の作用だけでも、とても素晴らしい成績を上げるファンドマネジャーが何人かは現れます。サルのときと同じですね。でも、今度はほぼ間違いなく、人は「彼らは相場に勝つ方法を知っている優れたファンドマネジャーなのだ」と思うわけです。
偶然というものは、ときとして、劇的で明白な結果を生み出します。ところが、人はどうしても偶然だけでそうした結果が起きるとは考えられないのですね。
簡単な例として、コイン投げを考えてみましょう。人は、コイン投げ(表を○、裏を×とする)をして、
○○○○○×××××
という結果は起きるはずがなく、
○××○××○○×○
なら、ありそうだと感じます。後者のバラバラで取り留めなく、劇的でも明白でもないものがランダムのイメージなのです。でも、実際にはどちらのパターンも生じる確率は同じです。